久々に、お姉ちゃんが田舎にきた。 お姉ちゃんはお祖父ちゃんのいる本家で暮らしているから、お母さんの田舎で1年のほとんどを過ごす私とは全然会うことがない。 お父さんに似たくせっ毛と淡い髪の色を持つ私と違って、黒く長いまっすぐな髪、切れ長の目。 女の子なんだけど、背が高くて、いつでも背筋を伸ばして、静かな目をしている。 冬の朝のような冷たく研ぎ澄まされたイメージがあった。 いつも厳しくて怖いお祖父ちゃんに、どこか似ている。 やっぱり一緒に暮らしているからだろうか。 私の欲しいものを全部持ってるお姉ちゃん。 高い背も、黒い髪も、強い意志も、丈夫な体も、頭のよさも。 そして、お父さんとお母さんとお祖父ちゃんの信頼も。 皆、お姉ちゃんは、1人でなんでもできるって言う。 2つしか違わないのに、お姉ちゃんはまるで大人のように扱われる。 すべてを自分の意志で行動して、お父さんもお母さんもすべてをお姉ちゃんに任せる。 ポンコツな体を持つ私は、みんなの手を借りないと何もできない。 何もできなくて、何でもすぐに諦める。 お父さんとお母さんは、もう高学年なのにいつまでも幼児のように扱う。 どうしてこんなに違うんだろう。 いいな、お姉ちゃんはいいな。 羨ましいな。 ずるいな。 なんで、姉妹なのにこんなに違うんだろう。 「お姉ちゃん」 「何?」 今日はお父さんはお仕事でこれなくて、お母さんも用事で出かけてる。 家政婦さんを除くと、家の中は2人きりだ。 お姉ちゃんはいつ見ても、勉強をしている。 篠崎の病院を継ぐから、勉強をしなければいけないのだ。 お姉ちゃんは、とっても頭がいい。 私の自慢のお姉ちゃん。 大好きな、お姉ちゃん。 話しかけると笑ってこちらを見てくれるけれど、どこかよそよそしい。 薄い膜のようなものを感じる。 何でもできるお姉ちゃんは、何もできない私が嫌いなんだと思う。 「一緒に川までお散歩しない?とてもいいお天気だよ」 「…私は勉強があるから」 「…そっか」 そう言って断られてしまう。 いつものことだ。 お姉ちゃんは、私と遊んでくれない。 お姉ちゃんはやることがあるから。 私と違って、やることがあるから。 いいな、お姉ちゃんはいいな。 いいな。 「お姉ちゃん、今日も遊びにいけない?」 「ごめんね、勉強があるから」 お姉ちゃんはずっとずっと勉強してる。 時々、それが少し辛そうに見える。 それはそうだよね。 私、学校は好きだけど、勉強は大嫌い。 お姉ちゃんだって、勉強ばっかりしてるのは、嫌だよね。 少しは、遊べばいいのにな。 遊んでくれればいいのにな。 「1人で行って来れば?」 「…1人で?」 余りにも意外な言葉に、一瞬何を言われたのか分からなかった。 そんなこと、言われたのは初めてだった。 私は何もするなと言われていた。 何も考えるなと言われていた。 1人でしろなんて、言われたことなかった。 「1人で…いいのかな」 「近頃調子いいんでしょう?」 「うん…あんまり熱でなくなったし、寝込むこともなくなった」 長期の療養と成長に伴い、昔よりずっと丈夫になった。 篠崎のお医者さんも、大人になるにつれてもっと楽になると言ってくれている。 でも、私の体はポンコツで、すぐに壊れてしまう。 1人で出かけるということに不安と恐れがある。 外は、1人で出るには遠くて怖いところ。 外に出たら、私は壊れてしまうかもしれない。 死んでしまうかもしれない。 お父さんもお母さんもお祖父ちゃんも、私には何もするなと言ってきた。 私のために、私が生きるためにはそれが一番なのだと。 でも。 「………1人で、いこうかな」 ふつふつと、体の中から何か熱いものが湧き上がってる。 手が、足が、できるんだと訴えかけてくる気がする。 力がみなぎって、体が軽くなっていく。 今まで知らなかった熱さが、息苦しいほど私を掻きたてる。 「でも、あんまり無理しちゃだめよ。遠く行かないようにね。1時間くらいで戻っておいで」 「…うん!」 「ちゃんと帽子かぶって、長袖の服を着ていきなさい」 「うん!」 急いで部屋に戻って、帽子とカーティガンを適当に身に着ける。 心が浮き立って、中々腕が通らないカーティガンにいらいらした。 早く早くと、体中が訴える。 家政婦さんに止められないうちに、私は1人外に出る。 玄関を開けた瞬間、夏の日差しが目を焼く。 外は光に満ちて明るくて、湿気を含まない風が緑の匂いを運んでくる。 今まで見ていた景色が、まるで違うもののように感じる。 私を緩やかに殺してきた灰色の世界が、光り輝いている。 両手を太陽にかざして、その熱を全身で受けとめる。 隅々にまで、力が染み渡っていく感じがする。 世界は広くて、私の知っている小さな世界が馬鹿馬鹿しく感じた。 私はどこへだっていける。 私はなんだってできる。 私は、1人で立てるんだ。 結局、はしゃぎすぎた私は3時間ほど外で遊んでしまって、夜に熱を出した。 でも、全然苦しくない。 体はだるくて、咳は止まらないけれど。 苦しくない。 心が浮き立っている。 けれど、お母さんが隣の部屋で、お姉ちゃんを叱っている。 私が熱を出してしまったことを、怒っている。 「芙美さん、なんで見ていてくれなかったの!芙美さんが一緒にいるから安心していたのに!」 「…すいません」 「気をつけてちょうだい!千津は体が悪いんだから!1人で外に行くなんてとんでもないわ!」 「……申し訳ございません」 違う、違うのお母さん。 私は、1人でできるのよ。 1人で、何でもできるの。 守られなきゃいけない存在じゃないの。 お姉ちゃんが教えてくれたのよ。 私は、1人でできるの。 そう、お母さんに告げたいのに、熱を持つ体は起き上がることを許さない。 大声を出すことをさせてくれない。 いつも感じる苛立ち。 自由にできない体がもどかしい。 まだまだ今はポンコツな体が、鬱陶しい。 でも、いつかきっと絶対、私は1人で出来るんだから。 お姉ちゃんを責めないで。 お姉ちゃんは私が1人できると、思ってくれた。 お姉ちゃんはそれを私に教えてくれた。 「違うの…、違うのよ、お母さん」 小さい声は、お母さんには届かない。 お母さんが、お姉ちゃんを叱る。 違うのに、そうじゃないのに。 お姉ちゃんは、ただ、私を信じてくれただけなのに。 そう、訴えたかったのに、私はいつのまにか気絶するように眠りに落ちていた。 気がつくと、傍らに誰かが立っていて、布団の上に誰かの手が置かれていた。 そのすらりと背筋の伸びた綺麗な姿は、私の大好きな人。 「おねえ、ちゃん…?」 「…ごめんね、千津」 「…どうして、謝るの?」 「ごめんね、1人にして」 どうして謝るの。 お姉ちゃん、私は嬉しかったの。 私は、あなたに教えてもらったの。 だからそんな苦しそうな顔をしないで。 そんな辛い顔をしないで。 「お姉ちゃん…、ごめんね、私のせいで…、お母さんに怒られて」 「…………」 「…ありがとう、お姉ちゃん」 小さな擦れた声で、なんとかそのことを告げる。 お姉ちゃんは何か痛みをこらえるように眉を寄せて、唇を噛んだ。 布団の上に置かれたお姉ちゃんの冷たい手に、手を載せる。 ありがとうって気持ちが、少しでも伝わるように。 私は、1人でできるの。 私は、1人で生きていけるの。 私は守られなきゃいけないわけじゃない。 私は、ポンコツなんかじゃない。 それを、お姉ちゃんが教えてくれたの。 お姉ちゃんは、私が1人でできるって信じてくれたの。 自慢のお姉ちゃん。 黒い髪、高い背、丈夫な体、お父さんやお母さん、お祖父ちゃんの信頼。 ずっとうらやましかった。 ずるいって思ってた。 何でも持っているお姉ちゃんが、大好きだけど、ずるいって思ってたの。 でもね、きっと追いつけるのよ。 私、きっとお姉ちゃんと一緒に、なれるの。 ありがとう、お姉ちゃん。 大好きなお姉ちゃん。 いつかきっと、私もお姉ちゃんのために何かをするんだ。 |