携帯が軽快に着メロを鳴らす。 バッグから取り出してみると、それは先日メアドを交換したばっかりの人だった。 まさか本当に来るとは思ってなかったので、びっくりする。 「ジンさんだ」 「ジンさん?」 「えっと、野口の知り合い」 思わず口にすると、一緒に買い物に来ていた隣の美香が首を傾げる。 携帯を開いてメールの内容を確認する。 そこには挨拶と、この前店に行ったことに対するお礼。 お礼は、こっちが言う方なのに。 結局この前も、私お金出してないし。 『渡したいものがあるから暇があったら是非来て。良には内緒でね。昼も店にいる時があるから』 そして、そんなことが簡潔に書いてあった。 優しげな声が脳内再生される。 「渡したいもの?」 なんだろう。 特にそんな親しい人でもないし。 忘れものでもしたっけ。 してなかったはずだけど。 来いって言われてもなあ。 野口に内緒って。 一人では、行きたくないなあ。 「何々?」 美香が興味津津に私の顔を覗き込んでくる。 「うーん、なんか店に来いって」 「お店?」 「Barやってる人なんだ」 「へー!Barとか私行ったことない。行ってみたい。なんかかっこいい」 美香が無邪気に声を上げる。 まあ、そうだよね。 私も行ったことなかった。 なんか大人の世界って感じがして、近寄りがたい。 あ、そっか。 一人で行くのは嫌だから、誰か連れて行けばいいんだ。 店、今なら近いし。 「美香、じゃあ一緒に行こうか」 「いいの!?」 「昼間だから、想像通りな感じじゃないかもしれないけど」 「行きたい行きたい!」 美香は跳ね上がる勢いで喜んでいる。 ああ、こういう正直に感情を見せるところもかわいいなあ。 ちくしょう。 「じゃあ、ちょっと聞いてみる」 私はすぐにメールを打ち返す。 友達を連れて今いっても平気ですか? 今すぐとか、ちょっと急すぎかな。 図々しいかな。 でも、勢いがついてる時じゃないと、行かなくなりそうだしな。 ジンさんなら、多分失礼な奴って怒らないよね。 「あ、私もメールだ」 無機質な着信音が美香のバッグから聞こえてくる。 多分初期設定のままの、味も素っ気もない着信音。 服とかアクセサリとかはすごい気を使うのに、こういうところ大雑把なんだよね。 カチカチとメールを打ち返しながら、美香がちらりと私を上目遣いで見る。 「藤原君もいいかな?」 「ん?」 「なんか近くに来てるみたいだから」 その時、私の携帯がもう一度鳴る。 開くと、何人でも連れておいで、今ならいるよ、という太っ腹なお答え。 「うん、いいみたい」 そして、奇妙な三人連れでの訪問は決定した。 「いらっしゃい。あ、今日は人がいっぱいだね」 お洒落でシックな扉を開くと、今日もジンさんは穏やかに笑っていた。 男性だけど、たおやかとか、なんかそう言った言葉が似合う人だ。 「すいません、押しかけちゃって」 「ううん、若い子と話せるのは嬉しいな」 「お店、平気ですか?」 「うん、昼は気まぐれで開いて気まぐれで人が来るだけだから」 言葉通りに、相変わらず店内に人はいない。 ていうか、私達以外の客ってあのおっさんしか見たことないけど、平気なのかな。 まあ、私たちが行くのはいつも夕方だったし、今は昼だから、このお店にくるような人達はいないのかな。 きっと夜は人がいるのだろう。 「すごい、想像通りだあ」 美香がキョロキョロしながら、小さく感歎の声を上げる。 明るい日差しが入る今、この前よりも雰囲気は薄まっている。 しかし確かにこの店は、ジンさんと同じような大人な匂いがする。 「さ、かけて。飲み物は何にする?メニューどうぞ」 カウンターにメニューを差し出されて、私たちは言われるがまま三人並んで腰かける。 そういえば、初めてメニューを見た気がする。 あるなら、前も出してくれればよかったのに。 と思ったけど見ても、何がなんだかわからない。 どれがお酒で、どれがお酒入ってないんだろ。 適当になんか言えばいいかな。 あ、コーラとか一応あるんだ。 「私、カクテルとかよく分からないから、なんか美味しいの作ってください」 「そう。すっきりする方がいい?甘めがいい?」 「熱いからすっきりで。あ、あのシャカシャカってする奴がいいです!」 「シェイカー使う奴ね。はい、かしこまりました」 美香の気どらない率直な言葉に、ジンさんが優しく笑う。 ああ、こういうところ、本当に敵わないって思う。 変に知ったかぶりしないで素直に言うところが、逆にかっこいい。 私はすぐにかっこつけて取り繕う方法を考えてしまう。 「じゃあ、えっと、俺も雪下のと同じので」 藤原君は相変わらず優柔不断。 うん、この人本当に美香とお似合い。 「はい。由紀ちゃんは?」 「………おまかせで」 それが一番良さそうだ。 かっこつけても、失敗するだけだし。 ジンさんはにっこり笑って、お任せくださいと言った。 泣きぼくろが相変わらず色っぽくて、本当に大人っぽい人だ。 そして流れるような仕草で三人分の飲み物を作っていく。 カクテルって結構作るの時間かかるんだな。 このお店に来て、初めて知った。 リクエスト通りシェイカーを取り出してシャカシャカと振ると、美香がかっこいい!と歓声を上げた。 ジンさんはその声に気分を良くして、くるくると回したりした。 どこにいても、誰といても、美香は、美香だ。 本当に羨ましい。 「はい。どうぞ」 まずは二人分出来て、美香と藤原君の前にオレンジ色の飲み物が置かれる。 美香がわくわくした顔で、それを持ち上げて上から下から覗き込む。 「これ、なんていうんですか?」 「サマーデライト」 「なんか夏っぽい。綺麗。お酒ですか?」 「お昼から女の子にお酒は出しません」 未成年だからとかいう理由じゃないのか。 まあいいけど。 「残念。でも美味しそう!ありがとうございます!」 素直な賞賛にジンさんはにっこりと笑った。 それから私の飲み物に取り掛かる。 「はい、これは由紀ちゃん」 しばらくして差し出された飲み物は、マックのシェイクみたいな色をしていた。 泡立っていて美味しそう。 美味しそうだけど。 「………これは」 「ミルクセーキ」 「………」 「これも立派なカクテルなんだよ?」 「………わざとですか?」 よりによって、またミルク。 そして、更に子供が飲むような飲み物。 「甘くて落ち着くでしょ。由紀ちゃんにぴったり」 ジンさんは綺麗な顔で、悪気なく笑っている。 絶対わざとだ。 優しい人だけど、やっぱり野口の関係者だ。 「………」 特に返事はせずに、私はミルクセーキを啜った。 うん、美味しい。 美味しいけどね。 「えっと、僕はジンって言うんだけど、君たちの名前を聞いていい?」 「私は雪下美香って言います。由紀の友達。でもって一応野口君の友達」 一応なんだ。 まあ、二人が話してるところってあんまり見ないしな。 「えっと、俺は藤原敬太って言います。すいません、突然押しかけちゃって」 「いいのいいの。良の友達?」 「あ、はい。高校に入ってからの」 「そう」 かしこまった様子で頭を下げる藤原君を、ジンさんが検分するようにじろじろ見る。 その遠慮のない視線に居心地悪そうに身じろぎする藤原君。 「あ、あの?」 「………君、良に何もされてない?」 「え?」 心配そうに聞く声に、ミルクセーキを吹き出しそうになる。 ああ、一目見て分かるぐらい、藤原君はあいつの好みなんだな。 意味が分からなそうに目を白黒させる元カレの代わりに、ため息交じりに答える。 「大丈夫です。ちょっとされてますけど、この人気にしてないから」 「ああ、そう。よかった」 「え?え?」 ますます混乱したように藤原君が私とジンさんを交互に見つめる。 野口の本性を知らない美香も不思議そうに首をかしげている。 まあ、本人が忘れているなら、なかったことにしておこう。 しかし、幸せな人だな、藤原君。 そういうところは羨ましい。 「だから、私は三番目なんです」 そう、藤原君ほどに好きになってもらえない。 私は所詮、三番目。 代用品の三番目。 「なるほど」 ジンさんは困ったように苦笑した。 ああ、愚痴ってしまった、情けない。 「それはどうでもよくて。ジンさん、渡したいものって?」 「ああ、そうそう。この前懐かしいものが出てきてね。是非由紀ちゃんにあげたくて」 ジンさんはカウンターの中をごそごそと漁ると、手の平サイズの紙を差し出してくる。 つるつるとした感触のそれは、写真だ。 「あ」 ひっくり返すと、そこには眼鏡の少年が映っていた。 ジンさんとお揃いのエプロンをして不機嫌そうに口を尖らせている。 今よりもずっと幼い、小さな、野口。 美香がひょいっと覗き込んでくる。 「あー、野口君だ!」 「かわいいでしょ。まだ結構素直だったよ」 「野口君、まだ中学生ですよね?」 「うん」 「その頃から、こんなところ来てたんですか?あ、こんなところって悪い意味じゃなくて」 言い回しが失礼だと思ったのか、美香が慌てて訂正する。 そういえばそうだ。 バイト先だって言ってたけど、中学生でこんなところでバイトなんてできるはずがない。 そもそも、この店って夜がメインだよね。 何してるんだ、あいつ。 いや、まあ、あいつだったら何も違和感ないんだけど。 「うん。この辺フラフラしてたところを、お客さんの一人が連れて来てね。それからバイトっていうか、店のお手伝いしてもらってたの」 「へえ。なんか分かるなあ」 「あいつ、今もこういう店のバイトしてるしな」 「内緒だよ。本当はいけないことだから」 肩目を瞑って、指を立てるジンさん。 ていうか、今のバイトも、こういうところなんだ。 知らなかった。 教えてもらってない。 まあ、私も聞かなかったんだけどさ。 でも、藤原君は知ってるんだ。 「どうしたの、由紀ちゃんふくれつらして」 「し、してません!」 別にふてくされてなんてない。 ただ、なんか、もやもやとする。 私、あいつのこと、何も知らないんだな。 落ち着いて聞いてる暇なんてないってのが、あるけど。 でも、あいつもそれくらい、言えよ。 ジンさんがくすくすと笑っている。 なんか、嫌な笑い方。 「良とはうまくいってる?」 「いってません!」 そこはすぐさまきっぱりと答える。 いくはずがない。 そもそもあいつと私でうまくいくはずがない。 「また由紀はすぐそういうこと言う」 美香がため息まじりに肩をすくめる。 こいつは何も分かってない。 何も分かってないからそんなこと言えるんだ。 「だって、あいつ最低なんだよ!」 「おや」 ジンさんがくすくすと楽しそうに笑っている。 小さな子の癇癪を微笑ましく見るように。 「人のことからかってばっかりだし、馬鹿にするし、いっつもふざけてるし、セクハラするし変態だし」 「随分鬱憤がたまってるみたいだね」 「だって最低です!仮にも付き合ってるのに全然優しくない。あいつ、ひねくれすぎてる」 あれは、暇つぶしに遊ぶおもちゃとしか思ってないだろう。 扱いが、ひどすぎる。 嘘の付き合いでも、藤原君の方がずっと優しかった。 「野口君、由紀のこと好き好きラブラブなのにー」 「うん、野口は三田のこと、好きだな」 隣のバカップルは能天気なことを言っている。 この鈍感浮かれバカップルが。 「多分、藤原君の方がもっと好きだよ」 「え、なんで俺!?」 からかって遊ぶって点では私も藤原君も一緒だけれど、多分藤原君の方が好きだろう。 藤原君は信用されているが、私は信用されてない。 「とにかく、あいつは最低!もう、付き合うって言って後悔ばっかり!」 「はいはい。あ、ジンさん。お代り欲しいです」 「はい。一緒の?」 「別のも飲んでみたいです」 「よし、じゃあ今度はちょっと甘めのしようか」 「わーい」 私の言葉を適当に相槌打って、美香はお代りなんかを頼んでいる。 こいつはいっつもいっつも人の話なんて聞きやしない。 なんて友達がいのな奴。 「あんたは少しは人の悩み、真面目に聞けよ!」 「えー。だって由紀のは悩みじゃないし」 「全力で悩んでるだろ!」 これが悩んでなかったら何が悩んでいるんだ。 最近特に扱いがぞんざいだ。 憤る私を、美香がちらりと冷たい目で見る。 「じゃあ、別れれば?」 「え?」 「野口君が嫌なら別れればいいじゃん」 そしてあっさりとそんなことを言った。 美香はもう一度肩をすくめて、つまらなそうに私を見ている。 「………」 「ゆ、雪下?」 別れろって、何を言ってるんだろう。 自分の彼女のトンデモ発言に、藤原君が焦って声を上げる。 「だってそうでしょ?そんな最低な駄目男なら、捨てちゃえばいいじゃない」 「………それは」 あっけらかんと言われた言葉。 別れろって。 それは。 「………」 言葉に詰まった私に、美香がにっこりと笑う。 「ね。由紀のは悩みじゃないでしょ。もっとストレートにノロケるんだったらいくらでも聞いてあげるのに。野口君の愛情表現が重くてひねくれてるけど、ドキドキしてたまらないって」 「な、な、な」 「悩みって言うから、私も何も言えなくなっちゃうの」 だって。 それは。 そういうことじゃなくて。 だって。 「駄目だよ美香ちゃん、そんなに追い詰めちゃ」 ジンさんがくすくすと笑いながら、美香のお代りをカウンターに置く。 一見フォローしているようだが、その表情も言葉も、私をフォローするものではない。 「だって、いい加減こういうタイプのノロケ聞かされるのうんざりです。素直なノロケだったら、私もノロケ返してやるのに」 「美香ちゃんははっきりしてるなあ」 苦笑するジンさんに、美香はふんっと鼻を慣らす。 そしてゴクリとお代わりを男らしく煽った。 「そろそろ、素直に認めなよ」 「な、何を」 「またそうやって誤魔化そうとする」 誤魔化してなんてない。 何も私は誤魔化してない。 「こうしてほしい、ああしてほしいって思うことは、その人に期待してるってことだよね?」 ジンさんが更に追い打ちをかけるように、畳みかけてくる。 少し意地悪そうに笑う。 「え?」 「優しくないってことは、良に優しくしてほしいんでしょ?」 「そ、それは、えっと」 いや、だって、優しくはしてほしいだろう。 そりゃ、人間だって優しくしてほしいだろう。 それは、普通の感情だろう。 「そうだよね、ジンさん?」 「そうだね、美香ちゃん」 『ねー?』 二人は顔を見合わせて口を揃える。 なんだこの二人は。 いつのまにこんな結託してるんだ。 初対面だろう。 なんで二人揃って、私を追い詰めるんだ。 追い詰める。 私は今追い詰められているのか。 何を。 なんで。 なんでこんなに、私は焦っているんだ。 「野口君と、別れたくないんだよね、由紀は」 「良の一番になりたいんだよね、由紀ちゃんは」 なんなんだ、こいつらは。 顔が、あっつい。 耳まで熱い。 「あ、う」 助けを求めるように美香の向こうにいる藤原君に視線を送る。 しかし藤原君を困ったように目を逸らした。 「えっと、俺も、そう思うよ、三田」 「…………」 ああ、役に立たない。 「真っ赤だね」 「かわいいね」 悪魔が二人、くすくすと笑いながら私を覗き込んでくる。 「ね、由紀、そろそろ認めなよ」 「な、にを………」 「野口君と、別れたくないのはなんで?」 それは。 「………」 「ね、なんで?」 美香は、許してくれないらしい。 うじうじとしていた私が、実はよほど面倒臭かったのだろう。 正直言うまで、逃がしてくれないようだ。 「………」 分かっている。 わかっていた。 本当は分かっている。 自分の気持ちぐらい、分かっている。 野口にムカつくのは、優しくしてくれないから。 大事にしてくれないと感じるから。 結局楽しく遊んでいるだけじゃないかって思うから。 それはつまり、私は野口に大事にしてほしいと思っているってことで。 それはつまり。 「………から」 「ん?」 「………き、だから」 「なあに?」 ああ、こいつは本当に最近性格激悪だな。 実はドSだろう。 もう、顔から火が出そうだ。 苦しくて、喉が詰まる。 心臓が、バクバクと壊れそうに激しく打っている。 分かったよ。 認めるよ。 「野口が、好き、だから」 結局、そういうことなんだ。 悔しいけれど、仕方ない。 「はい、よくできました!」 パチパチと、美香とジンさんが拍手する。 藤原君がなぜか赤くなっている。 ああ、もう。 どうにでもなれ。 |