「夏だよ!海だよ!プールだよ!」 寝ぼけた頭で電話を取ったら、やったらテンション高い美香の弾んだ声が耳元で響いた。 一体海なのかプールなのか。 ていうか夏だから海だからプールだからなんなのか。 つっこみたいところはいっぱいあったが、寝ぼけた頭ではよく分からず私は、あーうん、とか間の抜けた返事しかできなかった。 「じゃあ、1時間後に迎えにいくね。ちゃんと水着用意しておいてね」 「は?」 「ちゃんと野口君も誘ってあるから!ダブルデートだよ!」 「へ?」 「かわいい格好してきてね」 そこで通話は切られて、私は睡魔に負けてそのまま二度寝するべく枕に顔を埋めた。 そして5分後にメールが入ってまた起こされる。 くそ、と悪態付きながら見ると、また美香からのメールだった。 『海に決まったから、水着は露出高めにね!』 あー、海ね。 海。 「海!?」 そこでようやく私は覚醒して布団を跳ねのけた。 「で、なんでこんなことに」 あの後飛び起きて、何がなんだか分からないけどとりあえず準備した。 時間がなかったせいで、慌てて色々荷物を突っ込んできた。 水着なんて去年から着てないからどこにあるか分からなかったし。 化粧もあんまり出来なかったし、髪もぼさぼさ。 恨めしくてにこにこ笑っている美香に恨み事を言う。 「藤原君のお兄さんが海に行くってことで一緒に連れて行ってもらうことになったの」 「いや、だったらせめて前日に言ってよ」 「昨日決まってさ。そういえば由紀、今日は部活休みだったなあ、って」 「………あんたってどうしてそう時々無駄に行動力あるの」 「思い立ったら即行動だよ!高校一年生の夏は二度と来ないんだから!」 全く悪びれずに張りきる美香に、怒る気力もなくす。 本当にこいつ、かわいいからこういうことしてもかわいく感じちゃうのがずるい。 かわいいって得だ。 本当に本当に自分勝手な行動なのに、憎めないのだから。 「彼氏と過ごせる海だよ!野口君だって由紀の水着姿が見たいはずだよ」 そしてかわいい馬鹿ははしゃいだまま、そんなことを言い出す。 一気に顔が熱くなって、言語中枢がイカれる。 「ば!ちが!いや、ていうかあいつは彼氏じゃない!」 「またそういうこと言ってー」 私の言葉を軽く流して、美香がこちらに近づいてくる車に視線を向けた。 かわいいサマードレスを着て帽子をかぶった親友が、大きく手を振る。 ほんっと、こういう格好するとずるいよなあ。 非の打ちどころのない美少女だ。 こっちなんてショートパンツにキャミなんて、カジュアルすぎる格好だ。 隣に並びたくない。 「あ、きたきた。藤原君、こっち!」 シルバーのミニバンが、私たちの目の前に幅寄せする。 後部座席のドアが開いて、長身の男の子が軽やかに降りてくる。 「雪下、お待たせ」 藤原君が美香を見て、ものすっごい嬉しそうに笑う。 このバカップルが。 こいつら、元カノをなんだと思ってんだ。 私の存在を忘れていたかのような藤原君がようやくこっちを見る。 「おはよ、三田」 でもこうやってわんこみたいに素直に笑われちゃうから、憎めないんだよね。 ほんっと、こいつらずるい。 「えっと、おはよ」 「野口も乗ってるよ」 「あ、そう」 まあ、あいつがいようがいまいがどうでもいいんだけどさ。 ていうか来たのか。 なんか海とか健全な場所、あいつに似合わねえ。 助手席の窓が開いて、綺麗な大人っぽい女性が顔を出す。 ゆるふわなパーマで化粧が上手で、すっごい大人の女って感じ。 ぱっと見きつそうだけど、にっこり笑う笑顔は優しそう。 「早く乗りなよ」 「あ、はい」 「おー、かわいい女子高生二人ゲットー!」 助手席の奥から、サングラスをかけた男性が覗きこむようにしてこちらを見ている。 サングラスかけてるからちゃんとは分からないけど、かっこよさそうな人だ。 これが藤原君のお兄さんかな。 やっぱり、生まれた時から、勝ち組ってある程度決まってる気がする。 ずるいなあ。 「ちょっかい出すなよ、兄貴」 「しませんよ。隣が怖いもん」 「私がいなかったらする訳?」 「しませんとも!」 藤原君とお兄さんと彼女さんが、わいわいと騒いでいる。 仲いいんだな。 とりあえずここにいてもしょうがないので、頭を下げる。 「あ、今日はよろしくお願いします。ありがとうございます。三田由紀って言います」 「いえいえ、かわいい子が増えて嬉しいですよ。俺は敬太の兄貴の英行です。よろしく」 「私は高里絵理っていいます。絵理でいいよ」 「あ、は、はい」 とりあえず一通り挨拶をして、車に乗り込む。 なんかもう、朝からすでに疲れた。 私、これから大丈夫なのかな。 三列になっているシートの一番後ろに乗り込むと、そこには青白い顔した眼鏡の男が座っていた。 なんだか変に、心臓が跳ね上がる。 「………おはよ」 「おはよ」 野口は軽く挨拶をするが、ぐったりとしてシートにもたれかかっている。 ちょっと距離をおいて、隣に座る。 まあ、こういう順番になるよね。 お兄さんカップルと真ん中のバカップル。 あぶれた二人は、並んで座るしかない。 「なんか顔色悪くね」 「夏の朝の日差しとか、攻撃的すぎるよね」 「あんた朝弱かったっけ」 「割と弱い。あのバカップルどもに無理矢理引っ張りだされたし」 「来なきゃいいのに」 「だってあんたがめっちゃ露出の高い水着着るっていうから」 「アホか!」 朝っぱらから馬鹿なことしか言わない。 というかそんな言葉で釣られるな。 冗談だと分かっていても、なんか心臓に悪い。 これはあれだ、えっと、嫌だからだ。 そうに違いない。 いつもなら赤くなった私に追撃をかける野口だが、目を瞑ってやっぱりぐったりしている。 「本当に辛そうだな」 「昨日あんまり寝てないし」 「何してたの?」 「聞きたい?」 そこで目をうっすら開けて、意地悪そうにチェシャ猫のように笑う。 こんな時だけそんな顔しやがって。 「………いいわ」 「期待を裏切って悪いけど、バイト」 けれどいつものようにねちっこく言葉遊びをするつもりはないらしく、野口は簡単に応えて目をつぶった。 本当に具合が悪そうだ。 「酔いそう」 「寝てれば?」 「そうする」 言って、野口はそのまま横になって私の膝に頭を乗せた。 ナマ足だから、野口の髪が触れて、ちくちくしてくすぐったい。 「て、おい!」 「あんた相変わらず堅いね」 「悪かったな!」 「まあいいや。ナマ足だし」 「だから、なんでそんな変態っぽいんだよ!」 「ちょっとうるさい」 「ご、ごめん」 鋭い声で言われて、思わず黙り込んでしまう。 いや、今の私悪くないよね。 全面的にこいつが悪いよね。 我に返ってもう一度怒鳴りつけようとするが、青白い顔で目を瞑る男に何も言えなくなってしまう。 ていうか、体勢辛くないのかな。 くそ、なんで私がこんな。 「わあ、いきなりラブラブだね」 「熱いなあ」 前の二人が馬鹿なことを言うから、座席を蹴りつけて黙らせた。 「わあ、やっぱり由紀足綺麗ー。いいなー。ウエストも腹筋ついてて綺麗ー!」 「………」 「どうしたの?」 「いや、なんでもない」 かわいらしく首を傾げる美香に、力なくそう答えるしかなかった。 現実って厳しい。 美香はかわいらしい赤のビキニとスカート。 こんなかわいくて、こんな細くて、どうしてそんなに胸に肉があるんだろう。 少し小さいのか、ビキニの布が支えきれないと言うように悲鳴を上げている。 すんげーかわいくてエロい。 短パン型のタンキニの私は、なんか女の子ぽくない。 スポーティーでかわいくて、好きなんだけどさ。 ガキっぽいし。 せめて新調したかったな。 去年の水着が余裕で着れてしまうのが悲しい。 「わあ、二人ともかわいい」 絵理さんは黒のホルターネックの水着。 同じく短パンだけど、かなり小さくしかもTバックを見せるタイプ。 かなりセクシー。 ぼんきゅっばーん。 「う、わ」 「わあ!」 「何々?」 「えっと、すごい、かわいいです」 「ありがとう!」 絶望に陥りながら更衣室を出ると、男性陣は着替えが早かったのかもう待っていた。 二人と並びたくないなあ。 服着たいなあ。 こそこそと二人からちょっとだけ距離を置く。 今日は天気がよくて日差しが痛いくらいだ。 もう日焼けなんて部活でしちゃってるけど、日焼け止め塗っておかないとな。 「お待たせ!」 「あ………」 藤原君が美香を見て絶句する。 ていうか今明らかに胸見たよね。 このスケベが。 「どうしたの?」 「えっと、その」 「ん?」 「か、かわいい………」 「えへへへ。ありがとう!」 あー、熱い熱い。 だんだんイライラしてき、この二人。 ちょっと胸が大きいからってなんだ。 あんなの脂肪なんだから。 年とったら落ちて行くんだから。 「三田も、かわいいな」 「え、えっと………」 なんかいたたまれなくて熱い砂を見ていると、藤原君がそんなこと言ってくれた。 お世辞だって分かっていても、相変わらずストレートな言葉に顔に血が上る。 もう、こういうところが困るんだよなあ、この人は。 「それは俺の役目。お前は見んな」 「うわあ!」 そこでいきなり首に腕がかけられ、後ろに引っ張られた。 気が付いたら後ろにいた野口が私を引き寄せる。 いつもより布が少なくて、肌の接触が多くて、辛い。 「な、何すんだよ!」 急いでその腕から逃げ出して向き合った野口は、水着の上に青いパーカーを羽織っていた。 暑くないのかな。 まあ、あんな傷があったら、見せられないか。 野口は私を上から下まで観察するように一瞥する。 「な、なんだよ」 「露出が少ない」 「やかましい!」 顔から火がでるほど恥ずかしい。 ていうかこれ以上露出なんて出来るか。 まして美香と絵理さんの隣でこんな切ない胸を出せる訳がない。 もっと何か言われるかと思ったが、野口はうっすらと笑った。 「でも似合ってるよ。かわいい。あんたの足首とウエスト、しまってて好き」 「だから表現が変態くさいんだよ!」 同じ褒めるにしても、どうして藤原君とこんなに違うんだろう。 もっと素直に褒められないものか。 「はーい、ガキども。ちゃんと準備運動して、昼ごろには集まれよー。解散ー」 『はーい』 英行さんがそう音頭をとって、私たちは行儀のいい答えを返した。 そして、それぞれの組でそれぞれに散っていく。 私はどうしようかと隣を見ると、野口はいつのまにか組み立てられていたパラソルの下に座り込んでいた。 「泳がないの?」 「もうちょっと休憩。明るい太陽に溶けそう」 「お前は吸血鬼か」 そしてそのままシートの上に倒れ込む。 仕方なく、私はその隣に座り込んだ。 「いいよ、泳いできて」 「あのバカップル二組に混じれっての?」 「ま、そりゃそうだ。ごめんね。ちょっとしたら復活するから」 「いいけどね」 無理矢理連れ出して倒れられても困るし。 一人で遊ぶのはごめんだし。 まあ、でも朝よりは顔色よくなってるかな。 結局2時間ずっと人の膝で寝やがって。 起きた途端変な体勢だったから腰が痛いとか文句言われるし。 知るか。 「………」 人だらけの砂浜は、ざわざわと騒がしい。 黙り込んでいると、なんだか周りが別世界のように感じてくる。 本当にいい天気で、泥水みたいな海水も日差しを受けてキラキラ光っている。 隣をちらりと見降ろすと、野口は目を瞑って穏やかな呼吸を保っている。 地味だが、そこそこに整った顔。 藤原君なんかに比べると決してかっこいいって訳じゃないんだが、なんだかエロいんだよな、こいつ。 「眼鏡とりなよ」 「忘れてた」 「眼鏡なくて見えるの?」 「10cm前ぐらいなら」 「それ見えてねえよ」 「まあ、なんとかなるでしょ」 「海でそれは、死ぬと思う」 「コンタクト持ってくる時間もなかったんだよ」 言いながら、野口は目をつぶったまま動かない。 私の方が気になってしまって、そっと眼鏡を取り外した。 それから、髪がちょっと乱れたから、直すために撫でつける。 黒くさらさらとした感触の髪は、触り心地がよくてそのまま何度か撫でてしまった。 「ん」 野口が小さく呻いて、自分が何をしていたか気付いた。 恥ずかしくて、手を急いで髪から離すと、その手が掴まれた。 「やめないで」 「………」 野良猫は目を瞑ったまま、細くて長い白い手が、私の手首を掴んでいる。 気持ちよさそうに、表情が少しだけ、緩む。 「気持ちいい。あんたの手、堅くて好き」 「それ褒めてねえ」 「好きなんだって。もっと撫でて」 「………」 仕方なく、私はもう一度先ほどの作業に戻る。 さっきは無意識だったからよかったが、意識するとめちゃめちゃ恥ずかしい。 うっとりと私に顔を寄せる野口も、恥ずかしい。 ていうかなんか私たち恥ずかしい。 「膝枕して」 「調子のんな!」 ぺしっと頭を叩くと、野口はくすくすと笑った。 そして目を瞑ったまま、言葉を続ける。 「いいな。三田」 「何が?」 「傍にいてよ」 「いるじゃん」 「付き合ってよ。好きだよ。俺のものになってよ。俺もあんたのものになるから」 「私はものじゃない」 だからどうしてこう言い方が大げさなんだ。 人を物扱いするな。 悪態付いても、動悸が激しくて、頭に血が上る。 これはそうだ、えっと暑いから。 暑いからに違いない。 「焦らされるのもそれはそれで快感だけど、やっぱり一緒に気持ちよくなりたいな」 「言い方がいやらしいんだよ!」 「一緒にいるだけで気持ちいいよ、きっと。あんたが俺を好きだって言ってくれるだけで、気持ちいい。もっともっと、気持ちよくなりたいな」 野口が私の手をもう一度とって、目を瞑ったまま自分の頬を寄せる。 さらりとした感触の肌を、手のひらに感じる。 「ねえ、三田。俺を気持ち良くしてよ」 私は夏の暑さのせいだけでない熱さに、頭が沸騰しそうだった。 |