私の手に頬を押し付けたまま、野口は気持ちよさそうに仰向けに転がっている。 座っているだけでも汗を掻くのに、野口の肌は冷たいまま。 どこまでも体温を感じない。 私の手の平はじっとり湿って体温は上がり続ける。 周りは相変わらずざわざわと騒がしい。 でも、なぜか、このパラソルの下だけは別世界のように感じる。 「あ、あのさ」 「うん?」 「あんた、私のことが、好きなんだよね」 野口はうっすらと目を開けて、座りこんでいる私を見上げる。 そして口の端を持ち上げて、馬鹿にしたように笑う。 「好きだよ。何度も言ってるでしょ。もっと言ってほしい?」 「………どこが好きなの?」 「三田は欲しがるだけだね。贅沢だなあ。そんなに自分を肯定してほしい?」 こいつの言葉は、ぐさぐさぐさぐさ胸に刺さる。 自分が心の奥底にしまいこんで見ないようにしているものを突き付ける。 猫が得物を嬲って楽しむように、笑いながら人を傷つける。 「私、かわいくないよ」 「うん、まあ美少女じゃないね。普通にかわいいよ?女は化粧で化けられる」 「胸もないよ」 「それはあってもなくても楽しめる」 「変態」 「うん。それで何?そんなことないよって言ってほしい?」 野口は楽しげににやにやと笑っている。 ああ、本当にこいつはもう。 「あんたのそういう、わざと人が嫌がるようなこと言うとこ、嫌い」 「そうだろうね。でも俺は、そういう自分に都合のいいような答えを期待している問いかけに、期待通りに答えるの嫌いなんだよね。その行動自体はかわいいと思うし、嫌いじゃないけど」 知っている。 私って駄目な奴だよねって言ったら、そんなことないよって答えを期待する。 私ってかわいくないよねって言ったら、かわいいよって言葉を期待する。 でも、野口がその通りに言ってくれないことなんて、とうの昔に知っている。 「………そりゃ、いいこと、言ってほしいよ。私のいいところ、教えて欲しい。私のこと、肯定してほしい」 コンプレックスだらけの私だから、誰かに認めて欲しい。 かわいいって言ってほしい。 お前はいいところを持っているって、人の口から聞きたい。 そうじゃなきゃ、自分を信じられない。 野口は私の手を離し、髪を掻き上げてくすくす笑う。 眼鏡を外したその顔は、少しだけ幼くてなんだか知らない男のようだ。 「沢山あるよ。そういう卑屈なところも、打算的なところもかわいい」 「褒めてねえ」 こいつが素直に褒めてくれたことなんて、一度もない。 藤原君のように、私が期待する言葉をくれたことなんて、ない。 でも、だからこそ、こいつの言葉は信じられる。 「もがいてもがいて、でも綺麗になれなくて、卑屈に生きてる人間、好きだよ」 「………あんたって、ホントにヤな奴」 「知ってる」 綺麗になりたい。 美香みたいに、裏表のない人間になりたい。 でも私はひがんで嫉妬して自分のふがいなさを人のせいにする、汚い負け犬のまま。 「女っぽくして否定されたら怖いから、わざと男っぽくして、それなのに女として扱ってほしいとかベタでわがままなこと考えてて、でも甘えられなくて、それでぞんざいに扱われてイライラしてるとことか、好き」 「悪かったなっ」 そうだよ、私はこんなガサツな態度をとって、それでも女の子として扱ってほしいと思っている。 本当はかわいいところだってあるんだよって、努力もせずに認めてもらいたいと思っている。 美香や絵理さんがかわいいのは、努力しているからだ。 かわいくなろうとしているから、かわいいのだ。 そんなの分かっているし、何度も野口に言われた。 「でも最近のあんたの、かわいく、性格いい奴になろうとしてる前向きなところも好きだよ。それでもどうしても雪下みたいになれない生まれながらの負け犬なところも、好き」 本当にこいつはムカつく。 本当に本当にムカつく。 少しはフォローしやがれ。 私だって傷つきやすい年頃の女の子だ。 「………無神経野郎」 「三田は、かわいいよ」 でもこいつは、だからこそこういう時に嘘は言わない。 本当にきっと、私をかわいいって思ってくれてる。 本当に、私のことを好きだと思ってくれてるのだろう。 でも。 「………でも、一番好きなの、私じゃないでしょ」 「うん」 「………じゃあ、誰か一番好きな人が出来たら、飽きるんじゃないの」 私以上に好きな人がいたら、きっと私は捨てられる。 私はまた捨てられる。 恋愛なんて、一番じゃなきゃ、意味はない。 「飽きるかもね」 「………」 「飽きないかも」 ごろりと転がり、野口が体を横にして寝そべりながら、私をじっと見ている。 やっぱりその口は面白そうに笑っている。 「私はもう、捨てられるの、やだ」 お前なんて、一番じゃない。 好きじゃない。 誰かの身代わり。 一番好きな人が出来るまえのつなぎ。 そんなものは、もういやだ。 私は私を好きな人が、欲しい。 もう、みじめな気持ちになりたくない。 私はもう、傷つきたくない。 私は私が、一番大事。 「ね、三田?」 「………」 野口の顔が見れなくて、体育座りした膝に、顔を埋める。 パラソルの下でも十分暑く、湿気と太陽で、じわじわと汗を掻く。 ああ、暑いな。 暑い。 「俺に好きって言われて、気持ちがいいでしょ?人に認められるって、優越感ですごい気持ちがいい」 「そんなこと、ない」 「そう?俺は人に好きって言ってもらえるの、気持ちいい」 野口は汚い感情を隠さない。 汚いものも綺麗なものも、全部全部あけすけにする。 それがいいとは思わないけど、時折ひどく羨ましい。 「………」 「何度も好きって言ってあげるよ。あんたが望むなら、あんたの好きなところ、箇条書きにして読み上げてもいい」 「やめろ」 どうせそれも、褒め言葉でもなんでもないんだろう。 聞けば聞くほど落ち込むことになりそうだ。 「優しくするよ。大事にする。大切に扱う」 「………」 「俺は恋人は大事にするよ。あいつみたいに嘘ついたり、浮気したりしない」 膝を抱えていた手に、そっと夏なお冷たい手が触れる。 指先を一つ一つなぞるように、弄ばれる。 指先をいじられる感触に、暑いのにぞくぞくと寒気がする。 「三田、俺のこと好きでしょ」 「は!?」 「好きじゃなきゃ、海なんて一緒にこないし、こうして隣にもいない」 思わず顔を上げると、野口はやっぱりうっすらと笑っていた。 寝そべりながら上目遣いに私を見ている。 「ね、そろそろ観念しなよ。こうやって言葉遊びするのも楽しいけど、二人でラブラブしたら、きっともっと楽しい」 「………わ、私は………」 「ねえ、三田、好きだよ。あんたが好き。もうそろそろ、意地を張るのをやめてもいいんじゃない?」 夏の日差しが暑い。 触れた指先が熱い。 切れ長の目が、嬲るように楽しげに私を見上げている。 「確かに一番好きな奴が出来たら、俺は余所にいくかもね。でもそんな仮定の話に怯える前に、いつまでもふられてたら疲れて俺が諦めるかも。後悔してからじゃ遅いよ。いいの?」 「………」 「あんたが迷ってる間に、俺は他の奴のものになるかもしれない。そうしたらもうあんたに好きって言わなくなる」 「………」 「俺は恋に一途だから、あんたにもう興味を抱かなくなるな」 「………」 「ね、三田、それはどう?」 「………ぁ」 「あんたを肯定してくれる存在はいなくなる。未来のことなんて考えてる場合じゃないよ。現実をつなぎとめなくていいの?」 「………」 「ねえ、三田?」 「………だ」 「何?」 野口はくすくすと笑っている。 ああ、本当にもう、こいつはどこまでも底意地の悪い。 こいつが私のことを好きと言ってくれた時から、きっと選択権なんて、私は持っていない。 「それは………やだ」 結局、こいつの爪から逃れることなんて出来ないんだ。 |