10分後、二人はようやく学食の隅に席に座ることが出来た。
すでに昼休みも残り少なくなったため、席は半分以上空いていた。
人はまばらで、食事を終えてだべっている人間が大半だ。

春日と向かい合わせに座った冬子は、何かをやりとげた後の清清しい顔をしていた。
「すごい……、学食ってこういうものなのね。画期的で合理的なシステムだわ」
「いや、そんな大げさにされても…」
「ドレッシングなんかも、自分でやれば早いし好みに合わせられていいわ。カトラリも自分で選べるのね」
「そ、そんなものなのか…。俺は、なんでもやってもらえる方がいいけどなあ」
「そう?とてもよく出来ていると思うわ」
「まあ、金かけて不便するのが金持ちの極意なのかもな」
そう締めて、春日は一つため息をついた。
昼食一つ食べるのに、ものすごい労力を使った。
精神的な疲労が顔からにじみ出ている。
「しかし買い物とかしたら普通に千円とかでないか?」
「あまり自分で買い物することがないし……、する時もカードで済ませてしまうから…」
春日はこの短時間に見慣れた、情けない顔の冬子を呆然と見つめる。
「やっぱ世界がちげえ…」
きゅっと下唇を噛んで、不安そうに春日を見返す。
「そんなに変かしら…?」
「俺らからしたら、ものすごく」
「そう…」
下唇を噛んだまま、うつむく。
どうやらなんだか落ち込んでしまった冬子を見つめたまま、春日はスペシャルランチの厚い肉を口に入れた。
学食らしからぬ値段設定のそれは、肉の旨みが口にいっぱいに広がる。
「んー!!!さすがスペシャルランチ!うめえ!」
「え?」
うつむいていた冬子が顔を上げる。
無作法に箸で冬子を指しながら、春日がそう促す。
「お前もさっさと食えよ。昼休み終わっちまうぞ」
「え、ええ……」
そう言われて、冬子は目の前のクリーム色のトレイを見た。
その上には丼といくつかの小鉢がある。
大きめのどんぶりの中にごはんと、たまねぎと一緒に炒められた牛肉が乗っている。
分量は牛肉の方が明らかに少ない。
温泉卵と小さなプリン、味噌汁と漬物がついていた。
「これは…」
春日にはその先は聞かないでも分かった。
「牛丼。牛のどんぶりって書くの。うまいよ。卵は乗っけても乗っけなくてもOK」
肉をものすごい勢いでかっ込みながら、春日は簡単に説明する。
「ぎゅうどん」
「初心者は卵乗っけない方がいいかも。そのまんま食べてみ」
「は、はい」
洗練された動作でプラスチックの箸を持ち、左手で丼を持ち上げる。
ほんの少し箸でとると、恐る恐る口に入れた。
「ん!」
「ど、どうした!?やっぱ口にあわなかったか!?吐き出せ!吐き出すんだ!」
焦って身を乗り出し、両手を皿の形にして差し出す。
「美味しい!」
そんな心配をよそに、よく噛んで飲み込むと冬子ははしゃいだ声を上げた。
「美味しいわ、これ。牛丼って、おいしいのね!」
ぱくぱくと次々と口に運ぶ。
「なんだよ、焦らせんなよ…」
大きく安堵の息をつくと、春日は安物のパイプ椅子に深く座りなおした。
冬子は上品な仕草であるものの、ものすごいスピードで牛丼を食べている。
「はは、お前が丼食べてんのって新鮮かも、って勧めたんだけどよかったな」
目の前の長い黒髪の少女は、そんな言葉も聞いていない。
小さく笑うと、春日も目の前の豪華な食事を片付けに入った。



「美味しかったわ」
ほぼ同時に食べ終わると、冬子は春日の持ってきてくれたセルフサービスのお茶を飲み、満足気な息をついた。
どんぶりの中は、綺麗に空になっている。
「それはようございました」
「ええ、牛丼って美味しかった!ありがとう」
食堂に入ってきた時とは明らかに違う、晴やかな顔をしている。
「いえいえ、俺もスペシャルランチが食えるなんて感激です」
「そんなにおいしいの?また今度きたら、私もそれを食べてみようかしら」
ちょっとうらやましそうに、これまた綺麗に片付けられた春日のトレイを見る。
いつもツンとすました冬子の、なにやら意地汚い様子に春日が笑う。
「ああ、今度はコロッケカレーなんかがお薦め」
「ころっけかれー?」
「カレーライスの上にコロッケが乗ってるの」
「すごい!不思議な食べ物ね!」
手を叩いて目を輝かせる。
一昨日以前の冬子からは考えられないくらい表情をころころとかえる。
「………そういえばお前さあ」
「何かしら?」
茶を啜りながら、のんびりと春日が口を開いた。
けれど目は、まっすぐと冬子を見ている。
それなので、冬子もまっすぐに見返した。
「学食で食べるのは別にイヤじゃないんだよな」
質問の意図が分からず、少し首を傾げる。
「?…ええ」
「じゃあさ、4月にお前が女子との食事断ったのって」
「あ、れは!」
冬子の中に、苦い思い出がよみがえってきた。
顔に朱がさし、口の中に苦いものが入っているように、顔をしかめる。


あれは4月の、まだ入学して3日もたっていない頃。
高校に入ってきて、初めて体験する学食の話題で女子皆で盛り上がった。
まだ皆、出合ったばかりでそれほど親しくもなく、親睦を深めようと皆で学食にご飯を食べに行くことになった。
本当に入学してすぐだったので、女子もまだグループに別れておらずクラスの女子ほぼ全員が参加することとなった。
授業が午前中までで、学食がそれほど混んでいないだろうこともそれを後押しした。

その中には冬子もいた。


「女の子の噂で聞いたけどさ、学食の前まではついてきたものの『こんなところで食べられないわ!』とか言って帰っちゃったとかなんとか」
「そ、そんなこと言ってないわ!」
椅子から立ち上がり、身を乗り出す冬子。
春日は、それにはかまわず話を続ける。
「皆がメニュー選んでいる時に、『これは人の食べ物なの?』とか言ったとか」
「言ってないったら!」
冬子は真っ赤になって、泣きそうなようにも見えた。
打って変わって落ち着いて椅子にゆったりと座っていた春日は、もう一口お茶をすすった。
「それから、女子の中で性格悪いとか馬鹿にしてる、とかすげー評判悪くなったみたいだな。でもそうだよな。お前確かに性格可愛げないけど、そういうこと言う人間じゃないとは思うし」
相変わらず冬子の目をまっすぐに見つめている。
冬子は下唇を噛むと、椅子に座りなおした。
目線から顔をそらし、うつむいている。
「そんなことに、なっているのね」
自分が女生徒から嫌われているのは知っていたが、そのような理由からだとは知りもしなかった。
「真実のところはどうなの?」
「………」
静かに答えを促す春日に、冬子は答えなかった。
けれど目の前の男は、もう一度問いかけてくる。
「お前さ、性格確かによくないけど、人を馬鹿にするようなことしないと思うし。なんでそうなっちゃたの?」
優しい声で、ゆっくりと聞かれる。
春日の声は、静かに話す時は本当に優しく柔らかだった。
冬子は観念して、うつむいたまま話はじめた。
「私、今日分かったと思うけど、学食の使い方がよく分からなかったの」
「ふんふん」
ちゃんと聞いているのかいないのか、適当な答えが返ってくる。
気にせず冬子は続けた。
「だから周りの子に聞いたの。ここではどうやって食事を取るの?って。後、メニューがほとんど分からなかったから、これはどういう食べ物なのって………」
「………」
「そしたらなんだか、周りが険悪な雰囲気になってきて、いづらかったから先に帰ったの。次の日にはもう、私のことについて噂が流れてて……」
「孤立していた、と」
小さく頷いた。
「………」
「………」
無言が続いた。
あまりに返答のない春日に、やっぱり呆れているのかと顔を上げる。
目の前の春日はつっぷして小刻みに震えていた。
「春日君?」
声が少し刺々しくなる。
それでも春日は顔をあげない。
「……笑うなら、堂々と笑ってくれてかまわないわ」
許可が出た途端、春日は上を向いて笑い始めた。
「ぶは、あっははははははは!!!すげーや、すげーよ館乃蔵!いや、想像以上!そんなこったろうと思ってたけどすげー!」
どうやら笑い上戸らしいこの男のツボに入ったらしい。
まだ少し残っていた食堂内の人間が、なんだなんだとこちらを向く。
冬子は羞恥心と、屈辱感に耐えながら春日の笑いが収まるのを待った。






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