しばらく笑っていた春日が、ようやく落ち着く。
「あ、ひ、ひひひ、くっ、あー、ごめんごめん。悪い悪い。落ち着いた落ち着いた」
まだ収まりきらない笑いをどうにか収めようと苦心しながら、目元に浮かんだ涙を長い指で拭う。
「もういいわ……」
冬子は諦めににた表情で、ため息をついた。
「でもさ、その誤解を解こうとしなかったの?」
「だって…、もうほとんどの女子が口をきいてくれなかったし、理由も分からないのに、謝ることなんて出来ないわ」
「うーん、だからその理由をきくとかさ。そんな簡単な理由だったらすぐに誤解がとけたと思うんだけど。最初にちょっと頭下げればさ」
「私は何も間違ったことはしていないのに、頭を下げなければいけないの!?それぐらいなら、1人でいたほうがいいわ!」
憤り、顔を赤くしながら、さも不服そうな声を出す。
春日は頭をかいて、ため息をついた。
「それが、お前のいけないところだな。プライド高いのもいいけど、人間時には折れることも大切よ?特に友人関係とかはね。後、一回誤解を受けたくらいですっぱり諦めちゃうところ。自分から壁作っちゃうのもね。そんなツンケンしてたら本当に近寄りにくくなるし」
「でも!私は間違ったことしていない!そんなことで誤解するような人間なら友達なんて欲しくないわ!」
怒りで目を険しくさせる冬子。
春日はお茶を一口すする。
「プライド高いのはいいことだと思うよ。友人関係より、プライドが大切だって言うなら、それでもいいけどさ。確かに向こうも悪い。女子のやり方ってマジ陰険だし。お前にたいするやっかみもあるんだと思う。話してもどうにもならないかもな。でも向こうからもお前からも仲良くなる機会叩き潰してたら、一向にどうにもならないよ?最初に、お前から機会作ってみれば?話してみれば面白い奴なんだし、誤解が解ければ何人かは友達できると思うよ?」
「でも………」
諭すように、柔らかい声で話す春日の声には、内容と裏腹に責める色はない。
耳に素直に入ってくる。
冬子はまだ納得いかない顔をしながらも、話されていることに一理あることを受け止めた。
「それともやっぱり下々のものとはお付き合いしたくない?」
「そ、そんなことはないわ!」
慌てて言い返す。
別にこの学校の人間と付き合いたくないとか、そういった感情はない。
意地っ張りでプライドの高い冬子は、最初に拒絶された時に自分からも拒絶することにしたのだ。
そうすれば、自分が傷つくことはない。
「だよな。仲良くなりたいからこそ、最初の学食ツアーにも参加したんだろ?」
「う……」
真実だったので、言い返せない。
少し顔を赤らめて下唇を噛み、目をそらす。
春日はそんな冬子を見て、また自分の柔らかな髪をぐしゃぐしゃとかき回した。
「そういやさあ、何でお前この学校来たの?」
「え?」
「いや、お前みたいな良い家のお嬢様ってこんな普通の公立じゃなくて、もっと幼稚園から大学までの一貫教育!みたいなお嬢様学校はいるんじゃないの?」
その言葉に、少しのひっかかりを覚えたものの、柔らかな声に揶揄する響きはない。
無神経だが、思っていたより性格の悪くない目の前の男をちらりと見ると、冬子は正直に口を開いた。
「……おばあ様が通っていた学校なの」
「おばあさまぁ!?」
「な、何?」
すっとんきょうな声をあげる春日に、驚く冬子。
「あー、いやいや、お前って本当にお嬢様なんだなあ、と思って。いいや、続けて?」
春日が何に驚いたのか分からず、首をひねるものの先を続ける。
「確かに私、幼稚舎からある学校に通学していたわ。でも、高等部に入る前におばあ様に相談してこの学校に来たいと思ったの。この学校、歴史は古いでしょう?昔この学校におばあ様が通っていらっしゃったの。うちの家は、確かに古い家だけどおばあ様は、普通のお家から嫁いでいらしたの。けれどおばあ様はとても品があって、お優しい素晴らしい女性だわ。私、おばあ様みたいになりたいの」
「だからこの学校に?」
「ええ」
「へー、他の家族は反対しなかったの。こんな学校」
「こんな学校って…。確かにお父様にもお母様にもお兄様にもお姉さまにも反対されたわ。でも、御爺様とおばあ様が説得してくださったの。特におばあ様は、自分が館乃蔵に嫁いできた時に苦労なさった経験がおありだから、色んなことを経験をしたほうがいい、友人は広く沢山作った方がいい、と仰ってくださって」
祖母の話をする冬子は嬉しげで、誇らしげだ。
本当に祖母を慕っているのが伝わってくる。
春日も頬を揺るめて、頬杖をついた。
「へー、いいおばあさんなんだな」
「ええ!おばあ様は本当にとても素晴らしい女性よ!」
自慢の祖母が褒められ、嬉しかった冬子は思わず笑った。
「………」
春日が突然無表情になる。
「…春日君?」
どうしたのかと、冬子が問うと春日が表情を崩した。
子供のような、あどけない笑み。
「お前ちゃんと笑えるんじゃん!」
「え?」
「お前の笑った表情初めて見た!いっつもむっつりしてるからさ!いや昨日今日はそれだけじゃなかったけど。でも笑った顔は始めてだわ!いやー、かわいいじゃん、いつもそんな顔してればいいのに」
にこにこと、それこそ春日の方がかわいらしいとも言える表情だ。
一方言われた冬子は赤面している。
「な、な、な、か、かわ、かわ、って!!」
言われなれない言葉に、混乱して言葉がうまくつむげない。
しかし春日はあっさりと話を元に戻す。
「でもさ、ばあちゃんがそんなこといってんのに、お前が学校で孤立してていいの?」
いきなり切り替わった会話に、高鳴る心臓を沈めようとする。
大事な祖母がばあちゃん呼ばわりされるのに、一瞬不快感をしめすが、目の前の男が悪気がないのは分かるので、口を閉ざした。
「それは…、確かにそうだけど……」
「じゃあ、友達作る努力しろよ」
押し付けられるのは嫌いだが、春日の言っていることが正しいのは分かる。
意地をはって拒絶してばかりいては、何にもならない。
「でも……」
「でもなに?やっぱり傷つきたくないから逃げる?」
少し強い口調。強い目。からかうような、言葉。
逃げることは許されない、そんな気がした。
一気に冬子の頭が怒りと屈辱で熱くなる。
挑まれたなら、立ち向かうのが冬子の性格だ。
「逃げたりなんか、しないわ!やるわよ!」
「よーしよーし、よく言った」
満足気に、口の右端をあげて笑う。
いつものあどけない笑顔ではなく、とても性格の悪そうな笑いだ。
言ってしまった後に、後悔する冬子。
しかし言葉は取り戻せない。
下唇を噛む。
「でも……」
「何?」
「私は、彼女達が私の何を不快に思っているのか、分からないの…」
か細い声。しかし口調はしっかりしていた。
「ああー」
「話しかけろというなら、話しかけるわ。でも、今のままでは一緒ではないかしら?」
不安そうに春日の目を見る。
春日は頭をかいて目を伏せ、少し考え込んだ。
「とりあえずさ、車の送り迎えやめろ」
「え?」
「あれは、どうなんだよ。毎朝毎朝運転手つきのリムジンで送迎って。それともなんか安全の理由?」
「あ、いいえ、そういうわけではないと思うわ。ただ、お父様のいいつけで…」
「色んな経験をつめって言われてんだろ?それに家族の反対を押し切ってこの学校きたんだろ。そんないいつけごとき破っちまえ」
簡単に言う。
冬子は口を閉じた。
確かに自分でも、1人車の送迎は浮いているのではと薄々思ってはいた。
しかしそれに納得しながら、冬子は頷くわけにはいかなかった。
冬子の家から学校までは結構距離がある。
歩けない距離ではないが、歩いたら1時間近くはかかるだろう。
バスもかなりな遠回りのルートのため、時間がかかる。
朝が実はかなり弱い冬子には、一時間もはやく起きれるかどうか不安だった。
「やっぱりダメ?」
こちらの目をまっすぐに見てくる春日。
「いいえ。あなたの言うとおりだわ。でもそうすると、私遅刻してしまうかもしれなくて」
「チャリでくれば?」
「チャリ?」
「自転車」
じてんしゃ。
目を伏せる。
もう一つ、屈辱的なことを目の前の男に暴露しなければならない。
「……自転車、乗れないの」
「………」
「……笑ってくれて、かまわないわ」
遠慮なく笑った。
冬子ももう慣れた。目を伏せたまま、耐える。
今回は春日の復活も早かった。
「ぷ、くく、ああ、悪い悪い。じゃあ、練習しろ!」
「自転車の?」
「そう」
情けなく冬子の眉が下がる。
春日は挑戦的に笑った。
「それとも出来ない?」
「出来るわ!」
即座に言い返してしまう。春日は満足気に頷きながら笑った。
またやってしまった自分の短気さに、冬子はため息をついた。
言ってしまったからには、やらなければいけない。
「自転車も経験だって。ばあちゃんも喜ぶぜ。ああ、でも周りに自転車乗れる人いるの?」
「どうかしら…。お兄様は乗れると思うのだけど、お忙しい方だし…」
眉を下げたまま、不安げに言う。
そんな冬子に、春日は胸をどん、と叩いた。
「しょうがねえな!じゃあ、俺が教えてやるよ!俺に教われば、すぐ乗れるるようになるぜ!」
「ええ!?」
「なんだよ、それ。俺に教わるのは不満なわけ?」
「……正直に言うと、かなり」
目の前の無神経な男に笑い続けられるのは、かなり屈辱だった。
自分が転んだりする無様な姿を、誰にも見られたくない。
こっそりと、練習したかった。
「でもお前、他の奴に習うわけにもいかねーだろ。ていうか教われねーだろ、お前の性格から言って。1人で練習するのも辛いぜ」
その言葉に、頷きそうになる。
何をやるにも、先達がいなければ上達が遅いのは分かっていた。
先生が、いるにこしたことはない。
それでも、一昨日までただのクラスメートだった男にやすやすと教わるのは抵抗がある。
そんな冬子をみすかしたのか、春日が笑った。
「お礼は昼飯でいいぜ!毎日スペシャルランチとは言わないから。大丈夫!」
報酬の催促。
それで冬子の心がかなり軽くなった。
教わり、報酬を渡す。
それは契約だ。それなら、あまり構えることもない。
純然たる好意と言われるよりも、よっぽど信用できる。
「……じゃあ、お願いしようかしら」
「よっしゃ、お願いされましょう!やった、毎日学食で飯が食える!」
嬉しそうに笑ってガッツポーズをとる春日。
その本当に嬉しそうな様子に、冬子は少し笑った。


それから練習について少し打ち合わせをした。
冬子は自転車を持っていないので、春日の妹が使わなくなった自転車を使わせてもらうことになった。
その自転車の用意もあるので、練習は明日からになった。


ひとしきり打ち合わせが終わると、すでに昼休みは終わりに近づいていた。
冬子が今まで過ごしてきた中で、一番長くて短い昼休みだった。
食器を片付け食堂を後にしようとして、冬子は一つ気になっていたことを春日に聞いた。
「ねえ、なんでこんなによくしてくれるの?」
「へ?」
「昨日も言ったけど、私本当に可愛げないだろうし、あなたにも、とてもじゃないけど、いい態度とってるわけじゃないのに」
「ああ。確かにな。お前は可愛げないな」
「悪かったわね!」
自分で言ったものの、肯定されてむっとなる。
人に言われるのはやはり腹立たしい。
「自分のくせ、気づいてる?」
「くせ?」
「お前さ、自分で言いすぎたと思ってるときとか、失敗したとか思ってる時、唇噛むの」
「え?」
「だからさ、すげーむかついてもその顔見てると、なんか放っておけないんだよな。うちの太郎に似てんだよ。そのしょげた顔」
そんな癖、自分は気づいていなかった。
自分でも知らないことを知られていて、頬が紅くなる。
「……太郎って誰?」
「うちの犬。柴犬で間抜けなツラでかわいいんだよ」
「ちょっと!!!」
犬と一緒にされて、さすがに憤る。
手を振り上げると、春日が笑って飛びのいた。
「まあまあ。それで、あんま人付き合いうまくないだけで、本当は割りにいい奴なのかな、て思ってさ」
「………」
頬を紅く染めたまま、手を下におろした。
下唇を噛む。
春日が噴出す。手を伸ばして、親指で冬子の唇にそっと触れた。
「ほら、また噛んでる。後は今みたいに照れた時とかな」
突然触れられた指に、驚いて後ろに一歩下がる。
心臓が、ものすごい勢いで音をたてていた。
思わず胸のあたりを押さえる。
触れられた唇が、熱かった。
「……変な人」
「お前もな」


それからしばらく二人で歩いた。
途中で、春日が職員室へ寄って行くといった。
別れ際に、ふと思い出したように春日が口を開いた。
「そうだ、自転車乗れるようになるまで、俺がチャリで送迎してやるよ!大サービス!月曜日7時半に迎えに行くからな!」
「え!?」
そう言って、春日は冬子が口を開く前に小走りで姿を消してしまった。
「ちょっと、少しは人の話聞きなさいよ!」
そんな声も春日には届かない。
明日からの生活を思い、冬子は深くため息をついた。



しかし冬子も春日も気づいていなかった。
この約束では登下校も放課後も昼食も、すべて一緒に過ごすことになるということを。
二人はまだ、気づいていなかった。





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