身支度を整え、簡易に体を清め、白い狩衣に着替えた。
仕事着に着替えると、自然気が引き締まる。

祓いを行うのはたつみの要所である、5つの祠。
強くはないが漂う邪気に、なんだか空気がざわついているように感じる。
この空気を、これからたつみを回るようにして、祓っていくのだ。

「じゃあ、俺が3つ。兄さんが2つでいい?」
「………ああ」

まずは初めの祠にやってくると、天はてきぱきと段取りを決めてしまう。
口を聞きたくはないが、そう言う訳にもいかない。
今は私情を殺せ。
これは、仕事だ。
でもやっぱり、声に棘を含んでしまう。

「じゃあ、最初と、真ん中と、最後は俺が。お先に」

天は、どうしても感情を殺せない俺を見て軽く笑う。
くるりと振り返って、立見家の人々に滔々と告げた。

「では、これより龍の住まう地たつみの、邪気祓いを始めさせていただきます」

いつも愛用している邪気祓い用の剣を捧げるようにして、頭を下げる。
立見家の人達も、じっと天を見つめている。
張りつめた空気。
天を中心として、滲みでる白い力にじわりじわりとその場が支配されていくようだ。
すでに、辺りを漂っていた邪気は、天の力に飲み込まれていっている。
ただ、その場に立っているだけで。

「宮守の血を継ぐ者が、この地を統べる龍神に奉り申し上げる。我が力において………」

朗々とした声で、呪を唱え、剣に力をためていく。
その間にも白い力で周囲を侵蝕されていく。
ああ、やっぱり、圧倒的だ。
天がいるだけで、空気が変わる。

どんなにこの力を羨ましく思ったか。
どんなにこの力を疎ましく思ったか。

「この力を持って、邪気を祓え」

天が呪を作りあげ、剣を思い切り振う。
その瞬間に力が迸り、視界を焼く光はないはずなのに眩いと感じて、思わず目を瞑ってしまう。

「………っ」

そして目を開いたその時には、辺りは静まり返っていた。
ざわついていた空気は、清浄さに満ち溢れている。

「………これは、すごいな。宮守当代一との噂も誇張ではないようだ」

露子さんも湊さんも、驚愕を表情に浮かべている。
いつも落ち着いてる露子さんですら、何度も瞬きをしている。
天は露子さんの言葉に、皮肉げに笑う。

「お褒めに預かり光栄です。失望されていないようでなによりです」
「ああ、これは私が失言だな。失礼した」

露子さんが、天の言葉に苦笑して肩を竦める。
天はすました顔とどこまでも冷静で礼儀正しい態度で、けれど言葉に毒を込める。

「いえ、若造と不安になるのも、年長の方からしたら当然のことでしょう。どうも年を重ねるごとに物事を素直に捉えることが難しくなるようですから」

どう考えてもギリギリアウトな感じの嫌みに、見ているこっちが心臓に悪い。
けれどやっぱり露子さんは、全く動じることはない。

「なるほど、四天さんは、年若いことを気にされているようだ。そんなに力も経験があって、何を不安に思うんでしょうかね?」

からかうような言葉に、天の眉がほんの少しだけ顰められる。

「不安に思われるのは、ご依頼主ですから」
「はは、実力もあって堂々としていらっしゃるから、どんな馬鹿でもそんな杞憂はすぐに吹き飛ばしてしまうでしょう」
「だとよろしいのですが」

なんだか、空気が悪い気がする。
なんだろう。
天の態度が、いつも以上に悪い気がする。
家の人間以外には一応最低限の態度を守っているのに。

「四天さん、すごい、ですね」

横で俺と同じように心配そうに見ていた湊さんがぼそっと呟く。
すごいのは、今の態度なのか力のことなのか。
よくわからなくて、曖昧に頷いた。

「………あ、うん」
「力も強いし、露子姉さんとやりあってるし」

そのどちらもだったらしい。
尊敬する姉と渡り合っていると言うのも、感心するポイントのようだ。
渡り合っているのだろうか。

「三薙さんは、四天さんに、コンプレックスって感じますか」
「………」

湊さんが小さな声で、不安そうに聞いてきた。
その言葉に、心の中の柔らかいところをざくりと刺されたような気分になる。

「あ、すいません」
「いえ、全然」

そうは言ったものの、自分でもわかるぐらいその声は堅かった。
でも、隠していても仕方ないし、本当の事だから、正直に答える。

「……感じまくりです。どうやったって俺は、天に追いつけない。あいつに、迷惑をかけて生きていくしかない。あいつのせいじゃないって分かってるのに、時折酷く憎くなります」

俺が弱いのも、あいつが強いのも、どちらも自分たちのせいではない。
努力で埋められないものだって、ある。
でもどうしても納得いかなくて、その鬱憤が弟へ向かう。
とんだ八つ当たりだ。

「………分かります」

湊さんが、横で小さく頷いた。
俺は伏せていた顔を、一つ年下の少年に向ける。

「僕もどうやったって、露子姉さんには、なれない。露子姉さんや霧子姉さんを守りたいと思っていても、僕はどうやったって、守られる立場なんだ」

悔しそうに俯いて唇を噛む姿が、痛々しく見える。
この家では、男に生まれた時点で、当主になることはない。
それはいいことなのだろうか、悪いことなのだろうか。

「………露子さんは、湊さんに自由に生きて欲しいって言ってました。逃げてもいい、とも」
「露子姉さんが言いそうなことです」

湊さんが唇を歪めて、苦しそうに笑う。
どこか投げやりな、笑い方。

「僕は逃げたいと思ってます。ただ跡取りを残すためだけなんかに、生きたくない」

それからふっとため息をついた。

「でもいっそ、家のために犠牲になれと、言われた方が楽だとも思うんです」

それも、分かるような気がする。
俺は犠牲になることすら、出来ない。
力があったら、天のように傷つくことが増えるのだとしても、そうしたいと願ってしまう。
ないものねだりだと分かっているけれど。
目の前で家族が傷ついているのに自分だけのうのうと生きているのは嫌だ。
仲間外れは、嫌だ。

「………湊さん」

口を開こうとした時、視線を感じた。
顔を上げると、たつみの住人が4人ほど遠巻きにこちらを見ているのを分かった。
儀式が、珍しいのだろうか。
でも、道切り行事は定常的に行っているものだし、ちゃんと事前に臨時の行事についても通達してあると聞いている。
なんであんな不審そうな顔で見ているのだろう。

「なんか、見られてますか?」
「ああ、そうですね」

湊さんも顔をあげて、こちらを見ていた人達に視線を向ける。
すると、その人達はさっと顔をそむけてそそくさ逃げるように去っていく。
それを見て、湊さんが苦々しく顔を歪める。

「最近、立見の統治に異を唱える勢力があるんです」
「え」
「自治も、そしてこのたつみを支えている商業も、すべて立見家が取り仕切っています。小さいですけど独裁国家みたいなものですからね」

管理者の家は、その土地の有力者であることが多い。
宮守の家も、あの一帯では随分大きく、裕福な家だ。
その地位と富を見て、反感を持つ人がいるのは、おかしいことはないかもしれない。
管理者になりたがる人達も多い。

「富があるところには、欲が生まれます」
「………」

澄ました、大人びた言い方に、思わずじっと湊さんを見てしまう。
すると湊さんは悪戯をした子供のように照れくさそうに笑った。

「露子姉さんの受け売りですけど。でも気に入らないんでしょうね。僕たちが大きな顔をしているのが」
「でも、龍は」
「ええ、立見の人間にしか、押さえることができない」

だからこその管理者。
だからこその権利だ。
露子さんは、その身を捧げてすらいるのに。
いや、露子さんだけではなく、代々の当主は、ずっとその身を捧げてきたのに。

「いっそ龍を退治してしまおうとか、龍なんてまやかしだとか、立見の人間にしか押さえられないなんて嘘に決まってるとか、そういう説が出てるらしいですよ」
「そんなっ、だって」

びっくりして声をひっくり返る。
龍がいないなんて、なんて思えるのだろう。
露子さんの言葉に呼応して、何度も水しぶきが立つのを見ている。
そしてなにより、あの湖には張りつめるような神聖さを感じる。

「トリックだとか、言う人もいるみたいですよ」

俺の驚きに、湊さんは肩をすくめた。

「それなら、あいつらが押さえてみせればいいんだ。誰のために、僕たちが犠牲になっていると思ってるんだか。こんな狭い世界で馬鹿馬鹿しい」
「………」

憎々しげに、唇を噛みしめる。
姉思いの湊さんには、余計に姉の犠牲を馬鹿にされているように感じるのかもしれない。

「………失礼しました。なんだか話しすぎてしまう。管理者の家の人って、会ったのが初めてだから」
「あ、いえ、露子さんは」
「あの通りですから。そういう考えもあるな、立見の家は一流のイリュージョニストだ、なんて笑ってるだけです」

なんて、露子さんらしい反応。
まだ出会って一日なのだが、なんとなく言い方すら想像が出来てしまう。

「でも露子姉さんが、名実ともに当主になれば、反対勢力も小さくなるでしょうね」

名実ともに、とは婚礼の儀式を終えた後のことを言っているのだろう。
湊さんはやっぱり大人びた口調で続ける。

「だから、反対勢力は、本当は霧子姉さんが当主になる方が、望ましかったんです」
「えっと、でも、実質統治してるのは、お父さんやお母さんなんですよね」
「ええ、でもやっぱり、当主は象徴的な存在ですから。その象徴がこの体制に異を唱えていたら、付け入る隙が出来る」
「………」
「それに露子姉さんが当主になったら、きっと自分で統治することでしょう。露子姉さんは、特にあの人達に怒りもしないけれど、笑いながら立見を統治するというゲームを楽しむと思います」

露子さんのように敏く行動力がある人なら、確かになんなくトラブルなんて切り抜けてしまいそうだ。
湊さんがコンプレックスを持つのも、分かるかもしれない。

「そんなこと、俺に話しても、いいんですか」
「ちょっと探れば分かることですから」
「………」
「すいません。大丈夫ですよ、露子姉さんが当主になれば、全て丸く収まるんです」

湊さんが、寂しそうに笑う。

「結局、僕は、何もできないんです」

その無力感は、痛いほどに分かる気がした。



***




二つ目の祓いも無事俺がやり終えて、徒歩圏内だと言う3つ目の祠に向かう。
その途中、湖の付近の道で、言い争う声がした。
なにやら数人の男性が集まって、喧嘩をしているようだ。
進行方向にいるので、どうしてもぶつかってしまう。
どうしようかと戸惑って足を止めそうになるが、案内役の露子さんはすたすたと近づいていってしまう。
慌ててその後ろを追いかける。

「桂さん、高尾さん、ご両家揃ってどうされました」

そして、言い争っていた二人の顔がはっきりと認識できるまで近づくと声をかけた。
人の環の中心にいたのは、中年の二人の男性。
そのうちの一人の、黒髪の男性が、露子さんに詰め寄ってくる。

「おい、あんたなら知ってるんだろう!智和をどこにやったんだ!お前らと高尾がグルになっているんだろう」

露子さんを罵倒しながら、掴みかからんばかりだ。
間に入ろうか迷っていると、言い争いの中心人物だったもう一人の白髪交じりの細身の男性が、その男の腕を掴み引っ張る。

「露子お嬢さんに失礼なことを言うな!それに霧子お嬢さんと努をどうにかしたのは、お前のところの智和だろう!」
「立見と高尾が、俺たちが邪魔になって、消したんだろう!」

そしてまた言い争いに発展していく。
どうやら、霧子さんの失踪に関わっていた人達のようだが、話が全く見えない。
二人と、その周りにいる取り巻きのような人達で再び喧嘩が広がって行ってしまう。

「客人の前で見苦しいな」

その時、大きくはない、けれど凛としたよく通る声が響き渡った。
怒鳴るでもなく、行動を制限する訳でもない静かな声だったのに、辺りがしんと静まり返った。
露子さんが、いつもの笑顔を浮かべながら、二人に近づく。

「私の隣にいるお客人が見えないのかな、お二人とも。どちらにとっても、このたつみが争いに満ちた土地だと余所の方に思われるのは望むところではないだろう」

淡々と笑顔で話す露子さんには、なんだか不思議な迫力を感じる。
男性二人もそれを感じとってか、口を閉じる
周りのの取り巻きの人達も、静まり返っておろおろと辺りを見渡す。

「当家の不肖の姉と、ご両家の大事な跡取り息子については、現在立見が総力を持って捜索している。結果を待ってはくれないかな」
「………」

露子さんに掴みかかろうとしていた桂、とかいう黒髪の男が忌々しそうに小さく舌打ちをする。
露子さんはその態度に、小さく肩をすくめた。

「ご不満かな、桂さん。儀式を終えてから家に来てくれれば、いくらでもお話を聞こう。今は忙しくてね。たつみを荒らした人間たちに関わっている暇はないんだ」
「なん、だと!このインチキ巫女が」

再び、桂さんの手が露子さんに伸びる。
露子さんはその伸ばされた手をあっさりと掴んで、捻りあげた。

「痛!」
「おやおや、婦女子に手をあげるとは、この近代社会の紳士とも思えない振るまいだな。ねえ、迷信なんて信じない進歩的な桂さん」
「っつ」
「だから、お話しがあるなら、落ち着いてから聞こう」

そして手を離して、にっこりと微笑む。
自分の手をさすりながら、桂さんは忌々しげに何かを口の中で呟いている。

「そういえばあなたは立見家には近づかないな。別に取って食いやしないさ。龍なんていない、そうなのだろう?」
「くっ」

桂さんは、背を向けると足音荒く歩いて行ってしまった。
取り巻きらしき人達がそれに続く。
話の流れから察するに、どうやらあれが反対派の人達なのだろう。
霧子さんの失踪と、どう関わっているのだろうか。

「高尾さんも。息子さんがいなくなって不安な気持ちは察するに余りある。当家の人間もご迷惑をおかけした。だが、今はたつみにとって大事な時だ。今しばらく辛抱していただけないか」
「………は」

露子さんが残っている白髪交じりのおじさんに、打って変わって優しく話しかける。
ふてぶてしかった桂さんとは違って、高尾さんと呼ばれた人は慌てて頭を下げた。

「申し訳ございません、露子お嬢さん!」
「構わない。高尾家が、たつみのために身命を賭する覚悟であることはよく分かっている。いつも苦労をかけてすまない」
「………っ、ありがたいお言葉です。当家の息子がよりによって霧子お嬢さんと駆け落ちするなどっ」
「いいからいいから」

なるほど、高尾さんの息子さんが、霧子さんと駆け落ちした人なのか。
気が弱いって噂の息子さん。
やっぱり関係性が今ひとつよく分からない。

「気にしなくていい。今はお客人がいるんだ。下がってくれるか」
「は、失礼いたしました!では後ほど」
「ああ、ありがとう」

露子さんは鷹揚に頷くと、高尾さんが頭を勢いよく下げた。
そして名残惜しげに取り巻き連中と去っていく。
露子さんに心酔しているのが、よく分かる。
しかし、どちらもなんだか、極端な感じの人達だ。

「みっともないところをお見せしましたね。姉の行方不明は色々なことに影響が出てしまってね。困ったもんだ」
「あ、いえ」

露子さんが俺たちを振りかえって頭を下げる。
気にしないでくれと告げようとする前に、天が答える。

「それにしては楽しそうですね。いがみ合いは楽しいですか?」

天のギリギリアウトな嫌みに、ドキッとする。
それでも露子さんは笑ったまま。

「少しくらい障害があった方が、人生楽しいものだろう」
「姉の出奔も、あなたにとっては娯楽ですか?」
「天っ」

俺の制止なんて、勿論聞くはずがない。
でも、露子さんはまた声をあげて楽しげに笑う。

「勿論姉の身は心配だ。だが、私が慌ててどうなるものでもあるまい。だったら楽しんだ方が勝ちでしょう。人生は短い。存分に謳歌しようじゃないか」

その答えに、天はわずかに眉を顰めた。





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