「荷物は、平気だよな」

昨日のうちに用意しておいた、三泊四日分の荷物の中身をもう一度確認する。
呪具やら装束やらも入っているので、随分嵩張っている。
これ、スーツケースとかの方がむしろ楽なのだろうか。

コンコン。

ドアがノックされたので、軽く開いていると返事をする。
ノックの主はこれから出勤するのだろう、スーツ姿の長兄だった。

「支度は出来たか?」
「あ、一兄、うん、出来た」
「そうか」

一兄は微笑むと、部屋の中まで入って、座り込んだ俺の前の荷物を覗き込む。

「ちゃんと母さんの札も持ったか?」
「うん、いっぱい貰っておいた」
「先方は、古くからの付き合いのある家だ、失礼のないようにな」
「うん、気をつける」

古い管理者の家柄は、付き合いを密に持っていることも少なくない。
互いに不可侵で距離をとってはいるが、何かあれば協力体制をとれたりするらしい。
粗相をして関係を悪化させてはいけないから、礼儀正しくいかないと。

「それと、これを」

一兄が俺の前に座りこんで、手に持っていたものを差し出してくる。
紺地にシンプルな金糸の入った小刀袋。

「え?」
「懐剣だ」

渡されるがままに受け取って、くすんだ赤と金糸の組紐を解いて中身を見ると、黒漆の艶やかな鞘が現れた。

「お前が人を傷つけるものを厭っているのは知っている。だが、鈷だけでは対処できないこともあるだろう。振うのは人ではなく闇に対してだ」

懐剣は、ずしりと重い。
皆が使っているのを見て、便利そうだとは思っていた。
だが、一兄の言うとおり刃物を持つのが怖くて、倦厭していたのだ。
何かあった時に、懐剣を持っていた方が心強いのは確かだ。
僅かに鞘から抜くと、銀色に鋭く輝く。
そっと触れるだけで、力が込められているのを感じる。

「………一兄の力が入ってる」
「ああ、そこまで強くないが守護の力を込めてある。お守り代わりにもっていけ」

強くはないとは言いながら、一兄の力だ。
それなりの呪が込められていて、恐らくこれだけで結界を張ることは可能だろう。
媒介としての力が強い呪具のようだ。

「………うん」

人を傷つけることが出来る武器を持つのは怖い。
けれど、大切な人を守れないのは嫌だ。
今回は天と一緒だからそこまで危ない事態もないと思うが、天に何かあったら、俺だって力になりたい。
力を持つことは、悪いことではない。
それを振う者の、責任だ。

「いい子だ」

一兄が頭をくしゃくしゃと撫でてくれる。
せっかく整えたのに、またぐしゃぐしゃになってしまう。
顎を持ち上げられ、目を覗きこまれる。

「供給はされてるな」
「あ、うん、昨日双兄に」

無理矢理してもらった。
いや、してもらってるんだから無理矢理とか言っちゃいけないけど。
でもあれは半ば強制だった。
いや、感謝しなきゃいけないけど、双姉にも会えて楽しかったし。

「そうか。なら大丈夫だな。頑張って来い」
「うん!」

長兄は優しい目で微笑んでくれる。
一兄の刀に一兄の言葉。
力がトクトクと沸いてくる気がする。

「一兄も別件があるんでしょ?気をつけてね」
「ああ、ありがとう。戻ってきたら四天の合格祝いだな」
「そうだね。あいつならきっと受かるし」
「ああ」

みんなで、天のお祝いをしよう。
きっと楽しいはずだ。
よし、帰ってくる楽しみが出来た。

「じゃあ、いってきます」
「ああ、気をつけて。役目を果たしてこい」
「はい!」

一兄は最後に、俺の頭をもう一度くしゃくしゃと撫でてくれた。



***




約束の時間には天はすでに門の前にいて、車が回されるのを待っていた。

「今回は車で行くんだっけ?」
「うん。電車だと余計に不便なところだからね」
「そっか」

まだ山奥の街だと言うのは聞いていた。
遊びじゃないんだけど、たまには海沿いの街とかでもいいのにとか思ってしまう。
海沿いを車で走れたら、きっと気持ちがいいんだろうなあ。
なんて思っていると、俺たちの前にグレーのセダンが駐車する。
そして中から、スーツ姿の細身の男性が出てきた。

「お待たせいたしました、お二人とも。どうぞお乗りください」

穏やかな優しい声は、最近友人になった人のものだ。

「志藤さん!」
「はい、おはようございます。三薙さん」

思わず名前を大きな声で呼んでしまうと、志藤さんはにっこりと笑った。
挨拶をしながらも、トランクと車のドアを開けてくれる。

「志藤さんが今回運転してくれるんですか!?」
「はい、僭越ながら、四天さんに指名していただきまして」
「天が?」

ちらりと天を見ると、無表情に淡々と荷物を積んでいた。
まあ、なんでもいい。
たまにはいいことをするじゃないか、天。
俺はお前に今、珍しくものすごい感謝している。

「ではお乗りください、三薙さん」
「はい!」

志藤さんが荷物を取りあげようとするのを断って、自分でトランクに入れる。
それからさっさと車に乗り込もうとしている天に声をかける。

「あ、お、俺、助手席がいい!」
「お好きに。俺、後ろで寝るし」

天はそう言って言葉通りに、後部座席に乗り込む。
後部座席のドアを閉めている志藤さんに一応聞いておく。

「いいですか、志藤さん?」
「はい、三薙さんがよろしければ」

志藤さんが少しだけ照れたように笑って、そう言ってくれる。
俺は喜んで助手席に乗り込んだ。

「では、到着するまで三時間ほどかかるかと思いますので、おやすみください」
「よろしくお願いいたします。俺はお言葉に甘えて休ませていただきますので、何かありましたら起こしてください」
「承知いたしました」

天は乗りこんですぐに、言った通り眠ってしまった。
受験とかで疲れているのだろうか。
天を起こさないように、小さな声で志藤さんと話す。

「学校の方はいかがですか?」
「はい、楽しいです。俺、今まで友達いなかったんですけど、今の高校で友達出来たんです。それで、春休み入ったら遊びに行こうって言ってて」
「それはいいですね」

春休みの予定について話すと、志藤さんが運転しながら穏やかな顔で相槌を打ってくれる。
俺ばっかり話していては駄目だと思うのだが、聞き上手な志藤さん相手だとついつい話してしまって止まらない。
すでに車は高速に乗って、ぐんぐんと景色は後ろに流れていく。

「そうだ、それで男友達に藤吉っているんですけど、その藤吉の名前が」

藤吉の名前を呼ぶようになったという話をしようとして、ふと思いつく。
隣をちらりと見ると、まっすぐ前を向いて運転している眼鏡がどこか神経質な印象の人。
でも、本当は穏やかで朗らかな人だと、俺は知っている。

「………」

宗家と、宗家に仕える使用人。
でも家から一歩離れれば、俺たちは友人だ。
志藤さんもそう言ってくれた。

「どうされたんですか?」
「あ、あの」
「はい?」

ちらちらと志藤さんを見ていた俺に気付いたのか、話が途切れたのが気になったのか志藤さんが聞いてくる。
気を悪くした様子もなくやっぱり優しい。
嫌がられないだろうか。
いや、志藤さんなら嫌がったりすることはないと思う。
うん、きっと大丈夫だ。

「あ、あの、ゆ、縁さん」
「は!?」

志藤さんいきなりハンドルを思い切り切った。
高速の防護壁にぶつかりそうになって、叫んでしまう。

「わわわわ!志藤さん!危ないです!」
「し、失礼しました!」

すぐにハンドルを切りなおして、中央に戻る。
やばい、まだ心臓がドキドキしている。
この前も危険だったし、もしかして志藤さん、ハンドルを持たしてはいけない人なのだろうか。
普段は割と運転うまいと思うのに、動揺するとハンドル操作にモロに影響が出てしまう。
しかしそこまで驚かなくてもいいのに。

「み、三薙さん、ど、どうされたんですか?」
「あ、あの、嫌でしたか、縁さんって、呼ばれるの」
「………」

志藤さんが無表情になって、背筋をぴんと伸ばして、まっすぐ前を向いている。
そしてそのまま無言になっている。
そんなに嫌だったのだろうか。

「あ、あの、ゆ、志藤さん?」

もう一度、今度は苗字で名前を呼ぶと、はっとした感じで表情が戻る。
前を向いたまま、軽く頭を下げた。

「あ、いえ、失礼しました。情けないところをお見せしました」
「え、いえ」

別に情けないって訳じゃない。
そこまで驚かれたことがちょっとショックだっただけで。

「………や、やっぱり、嫌でしたか」

そこまで親しくないのに、名前を呼ばれるのってやっぱり嫌だっただろうか。
俺としてはもっと親しくなりたかったのだが。
藤吉、じゃなかった、誠司とは名前を呼ぶことで、もっと仲が良くなれた気がした。

「そうですね」

志藤さんがちょっと考えこんでから申し訳なさそうに言った。

「大変光栄なのですが、今まで通りにお呼びいただければと」
「そう、ですか」

やっぱり嫌だったのか。
年上の人だし、馴れ馴れしく名前を呼ぶとか駄目だったのかな。
俺のがっかりした声に、志藤さんがちらりと苦笑する。

「三薙さんは真っ直ぐな気性でいらっしゃいますから、ご家族の前で隠し事が出来ないでしょう。万が一、先宮や一矢さんの前で私の名前を呼んでいるところなどを見咎められては大変です」
「それは、そうですね………」

俺は、それほど器用な性質ではない。
うっかりと家族の前で志藤さんの名前を呼んでしまうことはありそうだ。
天や双兄ならいいが、一兄や父さんに見られたら俺も志藤さんも厳しく追及されるだろう。
俺はいいけれど、被害が大きいのは志藤さんの方だ。

「………」
「でもとても嬉しかったです。ありがとうございます。私に親しみを感じてくださったから、名前で呼んでくれようとしたのですよね?」
「はい………。最近男友達のこと、名前で呼ぶようになったから、だから、志藤さんのことも、呼びたいなって」
「ありがとうございます」

志藤さんは優しい声で、俺の軽はずみな行動にお礼を言ってくれる。
自分の浅薄さが恥ずかしいけれど、嬉しいと言ってもらえたなら嬉しい。

「お気持ちは十分頂きました」
「………ありがとう、ございます」

ちらりとこちらを見て志藤さんが笑う。
名前呼びは駄目だったけれど、喜びにふわふわと心が軽くなる。
気持ちが通じればいい。
もっと親しくなりたかったって意図さえ、分かってもらえて、受け止めてもらえたなら、満足だ。

「なんでもいいから安全運転でお願いします」
「は、はい!申し訳ございません!」

その時後部座席から剣呑な声が聞こえた。
慌てて後ろを見ると、薄眼を開いた天が、ものすごく不機嫌そうに眉を寄せている。

「俺の睡眠を妨げないでください」
「承知いたしました!」

それきり天はまた目を瞑ってしまう。
本当に眠いようだ。
悪いことをしてしまった。

「三薙さんにも失礼いたしました」
「全然。俺の方こそすいません。静かに行きましょう。そうだ、志藤さんの学生時代ってどんな感じだったんですか?」

天の眠りを妨げないように、俺たちはひそひそと会話を続けた。





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