て、勢いで飛び出してきたけど、どうしよう。
この家の中、うろうろするのもアレだよな。
不審者じゃん。
それに、もうすぐ明日の仕事の説明があるんだった。
仕事を放り出して、何やってんだ、俺。

「………はあ」

それでも足は止まらず、廊下を当てもなく歩きながら、溜息をつく。
いつもこうだ。
俺の悪いところだ、すぐに感情的になる。
そして、すぐに後悔する。
分かっているのに、直らない。

四天は、四天の都合がある。
俺なんかと違って仕事ばっかりで、彼女ともそんなにいられないし、学校を休むことも多い。
まだ、中学生なのに、大人に囲まれてばかりで、あんな風にならざるを得なかった。
四天が大人びているのは、当然のことだ。
何もできないから兄達に甘えてばかりの俺と違って、天は甘えることもなかった。

そう思えば、ぼやくのも、仕方がない。
それに、なんだかんだ言っても、四天は仕事はきっちりとこなす。
父さんに逆らうことなんてない。
あんなの、ただの愚痴だ。
よく考えれば分かる。
それすら受け止められない俺の度量が、狭い。

でも、どうしても、悔しい。
嫉妬で、頭が熱くなって冷静でいられない。
俺があれだけの力を持っていれば、ぼやきもせずに、仕事をいくらでもこなすだろう。
どうして、あいつだけ。

唇を強くかみしめる。
薄暗い感情が、胸を締め付ける。
と。

「お兄ちゃん、だあれ?」
「え」

声に驚いて、意識が現実に戻る。
どこまで来たのだろう。
いつの間にか庭が見える縁側まで来ていた。

だめだ。
注意力が落ちている。
力を失っているせいで、気配にも鈍感になっている。
いつのまにか俺の下には小さな女の子が首を傾げて俺を見上げている。
ほっぺたが真っ赤で、髪をお下げに結っている。
鼻がぺちゃんこで素朴な顔をしているが、大きな目はきらきらとしていて、かわいい。
この家の子かな。

「こわい、かおしてるよ。どうしたの?どっかいたい?」
「あ、いや、違う。違うよ、痛くないよ。」

どうやらしかめ面をしていたらしい。
女の子は心配そうに、俺の様子を伺っている。
いけない、小さな女の子に心配されるなんて、本当にだめだ。
しゃがみこんで女の子に目線を合わせ、自然と笑う。

「心配してくれて、ありがとう。俺は、三薙。今日はえっと、君のおばあちゃんかな、こちらの当主様、えっと、この家の人に呼ばれて来たんだ」

まだ5歳くらいだろうか。
そのくらいの子に妥当な言葉がわからず、俺はしどろもどろに説明する。
だが、俺のつたない説明でも、賢い女の子は分かってくれたらしい。

「ああ、おばあちゃまのおきゃくさまなんだ!」

顔を輝かせて、女の子は笑う。
どうやら、こちらのご当主の孫娘のようだ。
そしてぺこりとお下げをゆらして勢いよく頭を下げた。

「いらっしゃいませ。ようこそおいでくださいました。とうじょうひなこともうします。ひなこは、おひなさまのひなとかきます」

そしてそんなこまっしゃくれた挨拶をしてくれた。
やばい、かわいい。
えらいことかわいい。
なんだ、このかわいさは。

「ご丁寧にありがとうございます。宮守三薙と申します」

だから俺もしゃがみこんだまま、頭を下げる。
雛ちゃんはふっくらとした頬を緩ませてふふ、と笑う。

「えっと、みなぎ?お兄ちゃん?」
「はい、そうです」
「こっちにきて!」

雛子ちゃんは俺の手を突然取ると、縁側から降りる。
俺はされるがまま、つられて庭に降りる。
そこには雛子ちゃんのものと思われる小さなピンクの靴があった。
雛子ちゃんはそれを踏みつぶすようにして履きながらも、俺の手を引っ張る。
幸い、誰のものか分からない茶色いサンダルもあり、それをつっかけた。

「えっと、雛子ちゃん?」
「こっち」

雛子ちゃんは俺の手をとったまま、生垣の方に走る。
慣れないサンダルでよたよたしながら、俺はそれに続く。
広い庭の隅の、ちょうど家の陰になっている場所。
そこで雛子ちゃんはしゃがみこんだ。

「あのね、ここからお外に出れるの」

そこはちょうど、しゃがんで俺がギリギリアウトぐらいの大きさの穴がぽっかりと開いていた。
止める間もなく、雛子ちゃんはそこをするすると潜り抜けて行く。
スカートなのに、なんとも果敢だ。
パンツがちらちらと見えて、なんだか自分が変質者のように感じてくる。
どうしたものか。
くぐれってことだよな。

「お兄ちゃん、早く」
「わ、わかった」

促され、俺はその穴を更に広げることを決意した。



***




服をボロボロにして草だらけになりながら訪れた場所は、館から5分ほどの場所。
遠くまで見渡せる花畑だった。
小さく丸い白い素朴な花が、ところ狭しと風になびいている。
黒い雲の下、その花はより白く見えた。

「うわ………」
「すごいでしょ。花かざりのお花がいっぱいなの。しろつめくさって言うのよ」

雛子ちゃんが少しだけ自慢げに胸を張る。
へえ、結構よく見るけど、この花シロツメクサと言うのか。
たくましく咲く、一面の白い花。
華やかさはないけれど、つつましやかな可愛さがある。

雛子ちゃんは少し駆けると、その場にしゃがみこんでガサガサと花を掻き分ける。
そして手に何かを持って、戻ってきた。

「はい、これあげる」
「え」
「元気、だしてね」

それは小さなシロツメクサの首飾りか、腕環か、花冠か。
雛子ちゃんが編んだと思われる、かわいらしい花の輪。

一瞬、何がなんだか分からなくて、雛子ちゃんの顔と差し出された花輪を馬鹿みたいにじっと見る。
見上げる少女は、ちょっと不安そうに俺の顔をうかがっていた。

そうか。
心配、してくれたのか。
そして、元気づけようとしてくれたのか。
先ほどまで、もやもやとしていた胸に、温かい火が灯る。

「………ありがとう」
「うん!」

俺はまたしゃがみこんで、その芸術品を受けとった。
雛子ちゃんは満面の笑顔で頷く。
花はちょっと萎れているが、しっかりと編み込まれ丈夫そうだ。

「これ、編んでたの?」
「うん、あのね、お母さんが元気ないの。お母さんお花のうでわ、好きなの。だから綺麗なうでわつくってあげるの」

雛子ちゃんは一生懸命説明してくれる。
お母さんのためか。
本当になんていい子なんだろう。

「そっか。お母さんの分はできたの?」
「ううん、あのね、ほんとはね、お兄ちゃんにあげたのも、ちょっと失敗しちゃったやつなの、ごめんね」

これは、失敗作なのか。
本当に申し訳なさそうに俯く雛子ちゃんに、思わず小さく苦笑する。
でも、全然がっかりはしない。
初対面の得体のしれない人間を気遣って、大事な花飾りを分けてくれる女の子に、誰が気分を害するだろう。

「ううん、十分だよ。すごい嬉しい。とてもかわいい」

だから素直に礼を言うと、雛子ちゃんはまた赤い頬を揺るませてふふ、と笑った。
かわいいなあ。
こんな妹、ほしかったな。

「だから、明日、また作るの」
「そっか。俺も時間があったら、お花摘むのとか、手伝うね」
「ほんと!?」
「あ、時間がなかったら、ごめんね。俺もお仕事があるから」
「うん、いいよ!じゃあ、お仕事なかったら、約束ね」

そして、俺たちは花畑の中、指きりをする。
針千本飲ますという空恐ろしい歌を歌いきると、雛子ちゃんは首をかしげた。

「お兄ちゃん元気でた?」
「うん、すっごく元気でた」
「どうして元気がなかったの?」

気遣うような疑問に、俺も思わず正直に答える。
なんだろう、この子といると心がほぐれていく。

「うん、弟と、ケンカちゃって」
「ケンカはだめよ」

即座に帰ってきたらストレートな言葉に、苦く笑う。
他の奴らに言われたらイラっとくるだろうけど、この子に言われたら黙るしかない。
だから、素直に頷く。

「………うん、そうだよね」
「あのね、ひなこも、のぞむと、よくケンカするの。そうするとね、お母さんに怒られるの。それでね、おやつぬきにされるの」
「そりゃ、大変だ」
「そうなの。だからね、ケンカはだめなんだよ」

指をたてて、俺に教え諭す。
その微笑ましさに、心がほかほかとしてくる。
望っていうのは、雛子ちゃんの弟か兄だろうか。

「………わかってるんだけどね。俺が、悪いんだ」
「ひなこも、ケンカしたら、ちゃんとあやまるんだよ。のぞむがわるい時はのぞむがあやまるの。それでね、なかなおり。お兄ちゃんも早くなかなおりするといいよ」

そうだ、さっきのは、俺が悪い。
いや、大体天とケンカするときは、俺が一方的にあいつを詰るだけだ。
天がうらやましくて。
天が憎くて。
天に頼るしかない自分が情けなくて。
そして、天に八つ当たりをする。

本当に最低だ。

「………うん」
「ちゃんとごめんなさいするんですよ」

だから、教えてくれた雛子ちゃんに、素直に頷いた。

「はい」

雛子ちゃんは満足そうに大きく頷いた。
優しい女の子に、俺も小さく頷く。

「雛子!雛子!どこにいるの!」

その時、館の方からヒステリックな女性の声が響いた。
雛子ちゃんが振り向いて、そちらに駆ける。

「お母さん」

結いあげた髪を乱して走ってくる和服の女性は、ぺちゃんこの鼻と大きな目が雛子ちゃんによく似ていた。
娘を探していたせいか顔色が悪く、怖い顔をしている。

「雛子!出かけたらいけないと言ったでしょ!」

頭ごなしに怒られて、雛子ちゃんが身をすくませる。
俺は思わず立ち上がり、雛子ちゃんの前に出る。

「えっと、すいません。俺がここに連れてきてもらったんです」

お母さんは突然現れた男に不審げに眉を顰める。
そりゃそうだ、娘を連れ回す若い男って、そりゃかなり不審だ。

「………あなたは」
「あ、ご当主様に招かれてやってきた、宮守のものです」
「………ああ」

自己紹介をすると、女性は納得したように頷いた。
けれどその顔はいまだ険しい。

「うちの娘が失礼しました」
「いえ、連れ回してしまい、申し訳ございませんでした」
「今は祭りの準備で村中が過敏になっています。宮守の方におかれましても、行動を慎んでいただきますようお願いいたします」
「………はい、申し訳ございません」

厳しい言葉に少し俯く。
その言葉はもっともだ。
俺は仕事で来ているのに、私情で動いていてはだめだ。
なおかつ、この村は祭りを控えているのに。
邪気払いにきた俺が、場を乱してどうする。

「………あなた」

反省していると、白くかさついた手が俺の頬を軽く撫でた。
驚いて顔をあげると、そこにはじっと俺を見つめる雛子ちゃんのお母さん。

「え!?」
「あなた、ワラシの………」
「な、なんですか!?」

食い入るように見つめられて、居心地が悪い。
お母さんの目はどこかうつろで、遠くを見ているようだ。
なんだか飲み込まれそうで、少しだけ怖い。

10秒ぐらい、そうしていただろうか。
不意にお母さんが俺から視線をそらした。
そして頭をさげて娘の手を取る。

「………失礼します」
「あ、はい」

雛子ちゃんがひっぱられる中後を振り向いて手を振ってくれる。

「お兄ちゃん、またね」
「うん、またね」

何がなんだか分からないまま、俺はそのまま去っていく母娘の背中を見ていた。
手には、かさついた花輪だけが残っていた。






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