朝日が緩やかに覚醒を促す。 目を開けると見慣れない天井が、広がっている。 ぼんやりとしたまま隣を見ると、天が相変わらず人形なんじゃないかと思うぐらい乱れのない寝相で寝ていた。 そうだ、ここは、石塚の家。 何時だろう。 昨日寝たのは三時回っていたから、まだ頭が痛い。 まだ、七時半か。 いつもだったらもうとっくに起きて、学校へいく用意をしているところだ。 まだ眠いけれど、トイレに行きたくなった。 布団から出たくないけど、生理現象にかなうはずもない。 しぶしぶ、布団から起き上がった。 天を起こさないように、そっと障子を開いて廊下に出る。 トイレを済まして部屋に戻る途中、長身のすらりとした姿が廊下に佇んでいた。 ショートカットとショートパンツから伸びる長い脚が印象的な、きつい目をした女の子。 「あ、雫さん!よかった、無事だったんだ!」 昨日あの後結局姿が見えなかったので、心配だったのだ。 ほっとして、駆け寄ると、雫さんはきつい目で睨んできた。 「あんた、化け物見たって本当?」 挨拶も、俺の呼びかけへの答えもなく、いきなりそう切りこんできた。 食いつくように言われて、俺は思わず一歩下がってしまう。 「え、あ、うん」 頷くと、雫さんはつり上がった目を更にきつく吊り上げる。 こ、怖い。 「なんで、私があれだけ見回っても見れなかったのに!」 「なんで、って言われても」 「ずるい!」 唇を噛みしめて、悔しそうに眉をひそめる。 年上の、きつい印象の女の子なんだけど、なんかそんな顔するとひどくかわいかった。 ずるいって言い方が、小さい子のようでかわいい。 「雫さん、昨日も一人で捨邪地に?」 「昨日はお兄ちゃんに見つかったから、家にいた」 「そっか、よかった」 あの後、祐樹さんが雫さんを見つけたのか。 あいつに見つからなくて、よかった。 あんなのにはち合わせて、下手なことしたらどうなっていたか分からない。 そう言うと、雫さんはまた睨みつけてきた。 「どうせ、私は何もできないわよ!」 「そんなこと言ってないよ。でも、一人であんなところに行くのは危ない」 女の子なんだし、怪異とかそういうことなしでも危ない。 まあ、下手な人間だったら雫さんには適わないと思うけど、でも何があるか分からないし。 けれど、雫さんは不貞腐れたようにぷいっとそっぽを向いた。 「弱くて悪かったわね」 「そんなことないよ、術使える。独学であれだけできるのは、すごい」 「でも、何も出来ていない!こんな弱いのなんて、何の役にも立たない!」 悔しそうに吐き捨てるように言う少女は、年下のように見えた。 そして、なんだかその言い方にデジャヴュを覚えてしまう。 「………」 「何よ」 「なんか、俺がいつも言ってることと、同じようなこと言ってるなって」 「は?」 何もできない悔しさ。 何もできない歯がゆさ。 力の弱い自分への苛立ち。 どうにもできない現状への憤り。 どれも感じたことのある感情。 「俺さ、家族の中で一番弱くて役立たずで、何もできない」 悔しくて、悲しくて。 誰かに頼らなきゃいけない自分が、辛くて。 「いつも兄や弟の重荷になってる。弱い自分が、嫌いだ」 「………」 「強く、なりたいな」 一人で立っていられるくらい。 家族の迷惑にならないくらい。 「………強く、なりたい」 思わず俯いてため息をついてしまう。 すると苛立ったような声が聞こえてきた。 「なんであんたが落ち込んでるのよ」 「あ、ごめん!」 ああ、雫さんの話聞いてたのに、なんで俺、自分語りしてるんだろう。 は、恥ずかしい。 雫さんも呆れたような目で見ている。 「………あんたって、変な奴」 「ご、ごめん」 「別に謝らなくてもいいけど」 やばい、恥ずかしい。 話を変えよう。 えっと、最初にしていた話はなんだっけ。 「とにかく、俺たち、っていうか天と熊沢さんは信用できる人達だから、今回は俺たちに任せてよ」 「………そういう訳にはいかないのよ」 「どうして?」 昨日も言っていた、言葉。 雫さんは、呼吸が苦しいというように胸のあたりを抑えて、眉をひそめる。 そして聞こえるか聞こえないかぐらいの小さな声で、つぶやく。 「だって、ショウコが………」 「祥子?」 「私、私がきっと………」 消え入りそうな声。 どうしたのって聞こうとした時に、穏やかな声が後ろから響いた。 「雫?三薙さん?」 雫さんが顔をあげる。 俺が振り返る。 そこには心配そうな顔をした祐樹さんの姿。 「あ、雫さん!」 ちょっと後ろを振り返った瞬間に、雫さんは駆けだしてしまった。 祐樹さんの顔を見て逃げるように。 「三薙さん」 「あ、祐樹さん」 「雫がどうかしましたか?」 祐樹さんが不安げな顔をして近づいてくる。 俺は慌てて首を振る。 「あ、いえ、普通に世間話をしていただけです」 「………」 疑うように俺の顔をじっと見る祐樹さん。 俺はしっかりと目を合わせて、もう一度言う。 「本当ですよ」 「………なら、いいのですが。失礼なことをしていませんか?」 「してないですってば!」 本当に単に話をしていただけだ。 ちょっと気になることは言っていたけれど。 「そうですか。何か失礼なことをしたらすぐにおっしゃってください」 「雫さんはそんなことしませんよ」 まあ、使鬼を二回ほど投げつけられたけど。 あ、昨日二回だったから三回か。 「………」 痛みを思いだして顔を顰めてしまったのが分かったのか、祐樹さんがじっと見ている。 「あ、本当に!」 「………何かあったら本当に言ってくださいね」 「は、はい!」 「お願いいたします。そうだ。三薙さんは、朝食はどうされますか」 「あ」 そっか、もう朝食の時間だよな。 寝てないからあんまり食欲ないけど、人の家でいつまでも寝ている訳にもいかないしな。 「とりあえず、四天が起きてから、で、いいですかね」 「そうですか。では俺は居間におりますので、いつでも声をおかけください」 「はい」 そして別れて、部屋に戻る。 朝からなんか疲れたな。 雫さん、強いからなあ、色々な意味で。 そう言えば、さっきの、最後に雫さんが言っていた名前。 ショウコ。 祥子。 どこかで聞いたことがあるような。 違うな、名前の漢字がぱっと脳裏に浮かんだ。 聞いたんじゃなくて、見たんだ。 「あ」 思いついて、部屋に早足で戻る。 途中ちょっとふらついた。 まだ昨日の不調が残っているようだ。 ああ、くそ、本当に弱いな。 「おはよう」 部屋に入ると四天が起きていて、身支度を整えている最中だった。 「あ、おはよう。起きてたのか」 「うん。さっきね」 シャツを羽織りながら、天が俺の顔をじっと見てくる。 「何?」 「顔色悪いよ」 顔色にも出てしまっているのか。 ばれたくなかったのだが。 まだ確かにだるさが残っていて、頭がくらくらする。 軽い微熱があるような感じだ。 「………まだ、体調戻らないみたいだ」 「寝てれば?」 「もっと辛くなったら、そうする」 「うん」 体調を崩して、天の迷惑になるようなことは、したらいけない。 そんな事態にだけは、ならないようにしなきゃ。 それだけが半人前の俺にもできることだ。 前みたいなことに、なったらいけない。 「あ、そうだ。祐樹さんが朝食どうするって」 「そうだね。そろそろ頂こうか。祐樹さんは?」 「居間にいるって」 じゃあ行こうかと立ち上がった天に、その前にしようと思っていたことを思い出す。 「あ、そうだ。昨日の、その、えっと、被害者の書類って、見せて」 「いいよ」 でかい旅行バッグの中から、天は書類を取り出す。 写真は見ないようにしながら、被害者のデータを繰る。 「あ」 「どうしたの?」 「さっき、雫さんが言ったんだ。祥子がって」 「祥子?」 「最初の人」 そう、どっかで見たと思ったんだ。 亡くなった、高校三年生の女の子。 元気に笑っている、かわいいらしい女の子。 「栗田祥子」 だから、名前を見たことあったんだ。 「また、追い出された」 雫さんが何か知っているのかもって話にはなったけど、結局あの後雫さんは捕まらなかった。 祐樹さんに聞いても、困ったように家にいないって返されただけだった。 フットワーク軽すぎる。 ていうか私服だったから、学校にも行ってないんだろうな。 仕方なくそれは後回しにして、俺は四天に言いいつかった、お使い。 「まあまあ、きっと四天さんには四天さんのお考えがあるんですよ」 「どうせ俺は、役立たずですよ」 「三薙さんには三薙さんの出来ることを、四天さんには四天さんの出来ることを」 諭すようにしたりが顔で言う熊沢さんに、つい弱音が漏れてしまう。 「俺が出来ること、あるのかな」 「ありますよ。三薙さんにしか出来ないこと」 そんなこと言われても、そんなの信じられる訳がない。 自分でもウザイって思うんだけど、愚痴ってしまう。 本当はこんなこと使用人の熊沢さんに言っちゃいけないんだけど。 この人にはどうも、親戚のお兄さんのような気分になってしまう。 「俺が出来ることって、ほとんど四天が出来る気がする」 「まあ、それはそうですねえ。四天さんは別格ですから」 ははっと笑われて、どんどん落ち込んでしまう。 あいつは、別格だ。 強大な力、冷静な判断、経験に裏打ちされた実力。 確かに、そうだ。 比べても、仕方ないんだけどさ。 一兄にもいつも言われてるのに。 熊沢さんが沈み込んだ俺に、苦笑する。 「まあまあ、焦っちゃいけませんって。とりあえず言われたことをやりましょうか」 「意味あるのかな、これ」 「四天さんは、多分意味のないことはしませんよ」 「足手まといで邪魔な俺を遠ざける意味ってこと、ありません?」 「………」 「………」 二人して黙りこむ。 そして誤魔化すように熊沢さんが、肩をぽんぽんと叩いた。 いいんだけどさ。 「えっと、ここが2人目」 「はいはい」 四天に地図を渡され、被害者の亡くなっていた場所をマーキングしてくれと頼まれた。 俺は熊沢さんの車で回りながら、詳しい場所を地図に丸つけていく。 どこにも花なんかが飾られていて、分かりやすかった。 みんな、死を悼む人が、いるのだ。 不当に奪われた、命。 「………なんか、やっぱり意味がないような」 「うーん」 捨邪地を中心として、4人、菱形のように右上に。 そして、ぽつんと左下に1人。 やっぱりバラバラな気がする。 「はあ、次は1人目か」 「女子高生ですね。まったくもったいない」 「………可哀そうですよね」 かわいらしく笑っていた、高校生。 一つしか違わないのに、もう人生を奪われてしまった。 これから楽しいことが、いっぱいあっただろうにな。 「あ」 最初の被害者祥子さんが亡くなっていた場所に訪れると、雫さんと同じレトロな形のセーラー服を着た女の子達が3人ほどそこにいた。 亡くなった場所って言っても、昨日みたいに歩き回っていたなら、どこで本当に亡くなったのかは、分からないけど。 「おお、女子高生の群れ」 「熊沢さん……おっさんくさい」 「三薙さんに比べればそりゃおっさんですからねえ。制服が眩しいです」 「………」 「三薙さんも卒業すればあの制服の貴重さが分かりますよ」 呆れて黙りこむ俺に、熊沢さんは諭すようにそう言った。 いや、まあ制服は確かにかわいいけどさ。 うちはブレザーだし、セーラー服って新鮮だ。 いやいやいやいや、不謹慎だ。 「………熊沢さんって、なんか双兄みたい」 「双馬さんですか?まあ、幼馴染ですから似るかもしれませんね」 「え、双兄と幼馴染なの!?」 「ああ、言ってませんでしたっけ。一時期本家で暮らしてたんですよ、俺。三薙さん小さかったから覚えてないかもしれませんけど」 「ぜんっぜん、覚えてない!」 あ、だからなんか親戚のお兄さんって感じなのかな。 全然本当に覚えてないけど。 熊沢さんはゆっくりと車を停車させながら、軽く肩をすくめる。 「そりゃ寂しい。三薙さんを抱っことかもしたんですよ」 「嘘!」 「本当ですよ。かわいかったですねえ。その頃双馬さんとよく遊びました。俺の方が年上でしたけどね」 「へえええええ。一兄とは?」 「一矢さんの方の方が年は近いんですが、あの人はあの頃からお忙しそうでしたからねえ」 「へー!」 まあ、一兄は次期当主見込みだから、小さい頃から教育で忙しかっただろうしな。 俺は年が離れていることもあって、遊んだって記憶はあまりない。 面倒見てもらったってのはあるけど。 たまに遊んでもらって、悪いことしたら叱ってくれて、いいことしたら褒めてくれた。 なんか、一兄ってお父さんみたいなんだよな。 お父さん忙しかったし。 「それより三薙さん、あの人たちと話してみましょうか」 「え」 「被害者をご存じみたいですよ」 「あ、うん!」 セーラー服の女子高生3人は、花を道のわきに添えて、手を合わせている。 どうやら祥子さんのお友達のようだ。 車を脇に寄せてから下りて、3人に近づく。 さて、なんて話しかけよう。 「こんにちは」 「………こ、こんにちは?」 とか思っているうちに、熊沢さんがにこにこと笑いながら話しかけていた。 人好きのする熊沢さんだが、突然スーツの男と同年代の男が話しかけてきて、明らかに女子高生は引いている。 胡散臭そうに、3人で身を引いている。 怪しいな。 俺らすげー怪しい。 けれど熊沢さんは動じないで、ちょっと表情を正す。 「祥子さんのお参りですか?」 「祥子のこと、知ってるの?」 「昔この辺に住んでたんですよ。弟が小さい頃仲良くしてもらってて」 ぽん、と頭を撫でられる。 え、弟って俺のこと? 「あ、は、はじめまして」 「用事があって近くに寄ったので、お墓参りには行けないけれどせめてここでって」 慌てて頭を下げて間抜けな挨拶をすると、熊沢さんがすらすらと嘘をつく。 なんでこんなによどみなく嘘をつけるんだ。 「そっか」 3人はそれで少し警戒心を解いたようだ。 ごめんなさい。 嘘ついてごめんなさい。 「あの、祥子さんと仲良かったんですか?」 「うん、クラスメイトでさ。お花替えてたの」 「そっか。祥子さん、いいお友達、持ってたんだね」 会ったことはないけど、一月経ってお花を替えてくれる友達がいるっていうのは、きっと愛されてたんだろうな。 人はよくも悪くも、移り気で飽きやすい。 そうじゃなきゃ、痛みをずっと抱えて行かなきゃいけないから、仕方ないのだけれど。 「いい人、だったんだね」 こんな風に、愛されていたんだ。 でももう、祥子さんは、この人達と笑って遊ぶことはできないんだ。 写真で笑っていた、かわいらしい女の子。 「ほら、泣かないで」 「え、あれ!?ご、ごめん。ごめんなさい!」 なんかいつのまにか目が潤んでいたらしい。 ぽんぽんと、熊沢さんに頭を軽く叩かれる。 は、恥ずかしい。 「仲良かったんだね」 「う、うん、昔」 3人は顔を見合わせて、苦笑する。 どうやら、警戒心を解いてくれたようだ。 嘘なんだけど。 本当にごめんなさい。 ボブの女の子が、にっこり笑ってくれた。 どこか寂しそうな笑い方だったけど。 「祥子、いい奴だったよ。ちょっと気が強いけどさ、明るくて、楽しくて」 そして、俺に彼女の生前を伝えるように、教えてくれる。 他のポニーテールの子と軽くパーマのかかった子も、次々に教えてくれた。 「私ら、もう一人入れて仲良くてさ。よく遊びにいったんだ」 「そうそう、好きな人もいるって言ってて、楽しそうだった」 3人が話してくれる生前の祥子さんは、本当に楽しそうに女子高生をしていた。 なんの変哲もない、女子高生。 聞いていると、まるで本当に幼馴染だったように感じる。 もう、会うことはできない、人。 「………そっか」 「あ、泣かないでよ」 「ご、ごめん」 鼻水が出てきそうになって軽く啜った。 ああ、情けないな。 「好きな人、いたんだね」 「そう、雫、あ、さっき言ってたもう一人の友達。その人のお兄さんが好きって言ってて」 「すごい攻めてたよねー」 「え」 雫さんのお兄さん。 「祐樹さん?」 「あ、そうそう!あの優しそうなお兄さん!」 「知ってるの?」 「あ、うん、昔ね」 思わぬ名前に、熊沢さんと、顔を見合わせた。 |