「お帰りなさい」 とりあえずお使いを済まして、陽が暮れる前には石塚の家に帰ってきた。 玄関に入ると、祐樹さんがにっこりと笑って迎えてくれた。 相変わらずその優しげな笑顔は、なんかほっとする。 「あ、ただいま帰りました」 「お疲れさまでした。お連れの方は?」 「あ、今車を置きに行ってます。天は?」 「まだ調べ物をなさっています」 お茶を出しましょうと言って、祐樹さんはリビングに案内してくれる。 長い廊下を歩きながら、言おうかどうしようか迷う。 「どうされました?なんかありましたか?」 「え」 「浮かない顔をされてるから。まだ具合が悪いですか?」 しかしこっちが口を開く前に、祐樹さんが逆に聞いてきた。 体調は確かにまだゾクゾクと微熱を持っている感じだが、今は別のことが、気になる。 「あの」 「はい?」 別に、これは異変には関係ないことかもしれない。 土足で踏み入れるところではないかもしれない。 でも、優しげな顔で俺の言葉を待ってくれている祐樹さんに背を押されて、言ってしまった。 「最初に亡くなった方、栗田、祥子さん」 「はい」 「って、ご存じだったんですか?」 そう言うと、祐樹さんは目を伏せて表情を曇らせる。 「………はい、雫の友達でした」 「………その」 「雫があんなに頑ななのは、彼女が犠牲になったということもあるかと思います」 ああ、やっぱりそうなのか。 雫さんのあの張り詰めた顔は、友人が亡くなったことによるものなのか。 「彼女が亡くなって、雫は管理地の勉強に熱中するようになって、更に犠牲が出るようになってからは異変の原因を探そうと躍起になって………」 「そう、ですか」 「管理者の直系として、友人を守れなかったのをとても気に病んでいるようです」 何も守れない辛さ。 ふとした瞬間に襲ってくるいつもの痛みに、息が出来ない。 胸が苦しくて、シャツをぎゅっとつかんだ。 駄目だ、囚われるな。 落ち着け。 「………祥子さんと、雫さんは仲良かったんですよね」 「はい、中学生ぐらいの頃から」 「祐樹さんとは、お知り合いだったんですか?」 祐樹さんは懐かしそうに目を細めた。 ありし日の雫さんと祥子さんと思いだすように、少し柔らかい表情を見せる。 「家にたまに来ていたので、その時はよく話しました。明るい、いい子でした」 「………そう、ですか」 「どこかで聞かれたんですか?」 「あ、今日、祥子さんが亡くなっていた場所に、同級生の子たちがいて、お話聞いて」 昼間の優しい人達は、雫さんも心配していた。 祐樹さんと雫さんの名前を出すと、食いつくように聞いてきた。 『雫のことも知ってるの?』 『今回は雫さんの家に用事があって来たんですよ』 俺がどうしようかと一瞬戸惑うと、すぐに熊沢さんがフォローしてくれた。 本当によくすらすら言葉が出てくるものだと、感心してしまう。 『ああ、雫の家、なんかお客さんんとか多いしね』 『ええ、皆さんは仲がよかったんですか?』 『うん、特に雫と祥子は中学校からずっと仲良かったみたいだし』 『そうですか、最近雫さんは大丈夫ですか?』 三人は顔を見合わせて表情を曇らせる。 軽くため息をついて、ボブの子が、代表して応えてくれた。 『祥子が死んでから、すっごい沈んでた』 『学校も休みがちなんだよね。特にここ最近はずっと怖い顔してるし』 雫さんの、強張った怖い顔。 危険だと分かっていても一人で捨邪地を周り続ける、無謀な行動。 それは全部、祥子さんのためだったのだろうか。 『二人とも本当に仲良かったんだね』 『お兄さんのことで、喧嘩とかもしてたみたいだけどね』 『うん、雫、超ブラコンだったから』 喧嘩していた時のことを思い出したのか、三人は少しだけ表情を緩める。 すぐに悲しげな顔になってしまうのだが。 『でも、仲良かったよね』 『うん』 『ね、雫に会ったら言ってね。学校もっと出てきてって。私達心配してるからって』 俺と熊沢さんは伝えると約束だけして、その場を立ち去った。 後で絶対に、雫さんに伝えなきゃ。 あんないいお友達がいるんだし、お兄さんがいるんだし、一人で思い悩むことなんて、ないんだ。 ちゃんと、周りを見てほしいって、伝えなきゃ。 「………雫さん、なんか思いつめてるのは、そういうことなのかなって」 「………ありがとうございます」 「え!?」 なんでお礼を言われたのか分からず、間抜けな声をあげてしまう。 祐樹さんはにっこりと笑ってくれた。 「心配、してくださったんでしょう?」 「えっと」 「ありがとうございます」 ぽん、とまるで一兄がするように頭を軽く撫でられた。 たいして年の変わらない人にやられることじゃなくて、恥ずかしい。 けど文句も言えないので、どうしたらいいか分からず固まってしまう。 俺も弟みたいな感じなのかな。 でもな、これはちょっと、恥ずかしい。 「兄さん」 「天」 その時、後ろから声がかかって振り向くと、蔵から帰ってきたらしい天がいた。 これ幸いと祐樹さんの手から逃げ出し、天に駆けよる。 走ったことにより、頭が少しだけくらりと揺れた。 「お願いしてたこと、終わったの?」 「うん!」 「そう、じゃあ教えて」 「分かった」 俺は祐樹さんを振り向いて、お茶はいいとだけ伝える。 「それじゃ、ありがとうございました」 「はい、お願いいたします」 優しげな人は、ゆっくりと丁寧に頭を下げた。 祐樹さんと別れ、二人並んでとりあえず部屋に戻ることにする。 「何話してたの?」 「あの、最初の被害者の子、やっぱり雫さんの友達だったみたいで」 お友達に聞いた話や、祐樹さんの話を伝える。 天は興味があるんだかないんだか、曖昧な感じで頷いていた。 「ふーん、なるほど。変なことして場を荒らさないといいんだけど」 「どうしてお前はそういう冷たい言い方しか出来ないんだよ」 「仕事だから。余計な情は挟まないでね」 そこで天はちらりと隣の俺に視線を送る。 その感情のない冷たい目に、ちょっとだけたじろぐ。 「あの女に同情とかして仕事しくじらないようにしてね」 「………分かった」 別に、可哀そうだとは思うけど、仕事に関わるようなことはしない。 ていうか、雫さんが邪魔するって決まった訳じゃないし、協力できればいいと思うんだけど、そういうこともできないのかな。 出来れば、雫さんに敵をとらせてやりたいって、思うんだけど。 「ああ、そうだ、今日もあのゾンビ見つけたら祓おうと思ってるんだけど」 俺の戸惑いも気にせず、天は話を替える。 一瞬何を指しているのか分からず、即座に言葉を返せない。 しばらくして、天が何をいっているのかに思い至る。 「………ゾンビって」 「絵にかいたようなゾンビだったよね」 ゲームみたい、と面白くもなさそうにつぶやく。 その不謹慎な言葉に、少しだけ不快感を覚える。 もう亡くなっているとはいえ、人のことをそんな風にもののように言うのは、よくないと思う。 「亡くなった人のこと、そういうこと言うなよ」 「あれは亡くなった人じゃなくて、利用された死体だよ。人格も記憶も何もない」 「………」 四天はどこまでも冷静で、感情を揺らさない。 情なんて、こいつは挟むこともないんだろうな。 仕事に関しては、本当にロボットのように感じる。 冷静というよりも、冷酷と感じる。 仕事を行う上では、感情的になったりしたら、いけないのだろうけれど。 天は黙り込んだ俺を無視して、先を続ける。 「本題に戻るよ。兄さん、やってみる?」 「え」 「あいつが出てきたら、祓ってみる?」 部屋に辿りつき、とりあえず結界の中に入り込む。 自分で張った結界は馴染んだ空気で、気分が少しだけよくなる。 俺は隣の天に向き合って、急いで今の言葉を確かめる。 「お、俺、やっていいの?」 言われたことが信じられなくて、思わずどもってしまう。 儀式はこの前やったが、正式な祓いは初めてだ。 この前の学校のは、仕事じゃなかったし、方法もイレギュラーだったし。 「うん。経験積んだ方がいいだろうしね。やる?」 「う、うん」 「そう。じゃあ今のうちに供給しておこうか」 「うん!」 仕事が出来る。 そう思うと、いつもは気が進まない供給も、心が軽くなる。 天よりも先に部屋の真ん中に座りこみ、気持ちを整える。 失敗しないためにも、力は蓄えておかないと。 「また顔色が悪いね」 天が向かいに座りこみ、俺の頬を持って顔を持ち上げる。 見上げる深い黒い目は、探るように俺を見ていた。 「外回りしてる時はそんなでもなかったんだけどな」 「この辺一帯が、邪の気配が濃厚だからね」 大丈夫?と軽く聞かれて、結界の中だから今は気分がいいとだけ答えた。 事実、今は割と楽だ。 「そう。じゃあ、とりあえず兄さんにやってもらうってことで」 「俺に出来るかな」 「サポートはする。宮守の管理地では何回かやったことあるでしょ。変わらないよ」 「うん」 宮守の管理地ではいくつか邪が濃い場所があり、定期的に祓いを行う。 それを練習代わりに何回か祓ったことはある。 でも今回は練習ではなく実践だ。 四天と熊沢さんがいるとはいえ、不安で、緊張する。 失敗しないためにも、体調は万全にしておかないと。 「………じゃあ、お願いします」 「はい」 簡略化した呪を唱えて、天の端正な顔が近づいてくる。 唇に温かいものが触れたて眼を閉じると、すぐ傍にあった黒い眼も見えなくなる。 「ん」 そっと唇を舌でなぞられると、ぞくぞくとして産毛が逆立つ気がする。 天から与えられる力に、体中が期待して、歓んでいる。 「ぅん」 唾液と一緒に注ぎ込まれる力に、血が熱くなっていく。 白い力に侵されて頭が真っ白になって、何も考えられなくなっていく。 「う、ん」 体を支えてられなくて、天のシャツにしがみつく。 天が俺の背を支えて、引き寄せる。 天の体からも漏れ出る力に、眩暈がするほど気持ちがいい。 「はあ」 たっぷりと力を注がれて、満足に息をつく。 体中を巡る白い力が、心地よい。 お風呂上がりのようなだるさに、いつもの眠気が襲ってくる。 「………ありがと」 「今日は素直だね」 応えることもできないまま、俺はずるずるとその場に沈み込む。 天の膝を枕代わりに、重い瞼に抵抗できずに目を閉じる。 「………ごめん、眠い」 「いいよ。後で起こす」 弟の許可を得て、俺は心地よい眠りに身を委ねた。 |