予想通り、今夜も奴らはやってきた。 結界と俺達の精神をじわじわと食むように、少しづつ揺さぶりをかけてくる。 結界が強すぎて、すぐには破けないのってのもあるのだろうが、いやらしいやり方だ。 しかしこんな強い結界なのに、どうして家の周りの結界は破られてしまったのだろう。 「一旦交代します、志藤さん、休んでください」 すでに刻は丑三つ時。 一番闇の力が強まる時間だ。 今まで一人結界の維持をしてくれていたが、そろそろ志藤さんも疲れるだろう。 「………いえ、まだ」 「夜明けまではまだ長いです。少しづつやりましょう」 「………はい」 予想通り固辞しようとする志藤さんを制して、結界の維持を交代する。 昼間に綻びたところを全員で修繕したのだが、また少しづつ食われ続けている。 修復することをやめたらきっと夜明け前には結界は崩壊するだろう。 「返して、返して、返して」 「ねえ、返して」 カリカリと窓を引っ掻きながら、幼い声が何人も何人も言い続けている。 障子の向こうに見える影は、気持ちがいいものではない。 大人になったり子供になったり、熊沢さんになったり、度会さんになったりしながら、開けてくれ、返してくれ、を繰り返す。 そんなにも必死に、こいつらは何を求めているのだろう。 「何を返してって、言ってるんでしょうね」 「………私には」 「だからそういうところで落ち込まないでいいですから!」 質問に答えられないことに落ち込んで、俯こうとする志藤さんを止める。 本当にこの人は放っておくと不思議なところでどこまでも落ち込んでしまう。 いや、まあ、それは俺も一緒なんだけど。 この人といると本当に自分を見ているようだ。 「返す、か」 何を返してほしいのか。 何を探しているのか。 探す。 探す、という単語に記憶の何かが引っかかる。 「探している」 俺がぼそりとつぶやくと、志藤さんが不思議そうに首を傾げる。 それに気付いたけれど、とりあえず自分のひっかかりを覚えた記憶を探す。 「探す、探す、か」 どこかで、聞いた。 そうだ、ついさっき聞いたのだ。 「やまからおりて、ひとのこさがす。ひとめをさがしてさまよいあるく」 『ひとのこ』と、『ひとめ』を、探して彷徨う。 つい唄ってしまうと、志藤さんが聞いてくる。 「なんですか、それ」 「順子ちゃんが唄っていたんです。手鞠唄。昼間に和彦君が唄ってたやつです」 「そんな歌詞出てきましたっけ?」 「なんか、和彦君が唄ってたのと最後の部分が少し違ったんです。探してる、ひとめを、さがしてる」 「へえ。なんか不思議ですね」 結界に力を注ぎこみながらも、それでも単調な作業に、余裕も生まれてくる。 外に意識を向けながら、なんとなく今の唄について考え始めてしまう。 それは志藤さんも一緒だったらしい。 昼間の唄を思い出しながらも、首を傾げる。 「探している、ひとめ、ってなんでしょう」 「えーと、おやまのうえにすんでいる、みつめがみ。やまのむこうの、ひとのこみつめる、よそみをしたら、ふためがみ、おやまにうえにすんでいる、ふためがみ、やまからおりて、ひとのこさがす。ひとめをさがしてさまよいあるく」 俺は順子ちゃんに聞いた唄を思い出しながら唄う。 志藤さんも頷きながら、その歌詞を一つづつバラバラにしていく。 「最初は、みつめ、なんですね。でもよそ見をしていたら、ふためになっている」 「それで、最後に、ひとめを探す、か」 みつめだったのが、ふためになって、ひとめを探している。 つまりひとめが、なくなってふためになってしまったと言うことか。 「どういう、ことでしょう」 「俺、みつめがみって、女の神で女神って思ってたんですけど、目、なのかな」 「え、三つの目ですよね!?」 志藤さんが俺の言葉に驚いたように声を上げる。 まあ、よく考えればそうだよね。 「………ですよね」 「す、すいません!」 俺がぼそりと漏らすと、志藤さんは慌てて頭を下げた。 いや、まあいいんだけどさ。 そんな気にしないでほしい。 「三つの目で、三つ目神、なのかな」 「よそ見をしているうちに、二目神になってしまったんですね」 「それで、最後に、一目を探す」 三つの目を持っていた神様が、二つ目の神様になってしまった。 そして失ってしまった一つの目を探していると歌詞か。 「………」 「………」 なんとなく、二人で黙りこんでしまう。 しん、と辺りが静まり返る。 呼吸の音が嫌に大きく感じる。 「………一目は、どこにあるんでしょうか」 志藤さんの言葉。 俺が口を開こうとしたその時。 「返せ!!」 窓ガラスが強く叩かれる。 壁が叩かれる。 家が揺れる。 「あっ」 思わず驚いて声を上げて身を引くと、志藤さんがその背中をそっと抑えてくれた。 温かい手に、動揺が少しだけ収まる。 「大丈夫ですか、三薙さん?」 「あ、ありがとうございます」 なんだか昨日とは逆だなと思いながら、気配を巡らせる。 昨日、今日で一番多くなった何かの気配が家を取り囲んでいる。 そして、それら全てが壊そうとするように家を叩く。 バンバンバンバンバン! ガシャガシャガシャガシャ! 「………っ」 耳を塞ぎたくなるほど、不快な音。 窓ガラスをひっかく、壁を引っ掻く、叩く叩く叩く。 うるさい。 うるさいうるさい。 「返せ返せ返せ!」 「返せ!」 「返せ、返せ返せ!」 家を囲う結界を意識下に置く。 結界に力を一気に注ぎこみ、それらをはねつけるように弾く。 パン! ガラスが割れるような音がして、辺りは無音に戻る。 障子の向こうの影も、消えていた。 気配を巡らせると、とりあえず今は何もいなくなっているようだ。 「………は、あ」 力をかなり使ってしまって、息が上がる。 でも、まだ大丈夫。 今日は志藤さんが今までやってくれていたから、力は残っている。 「大丈夫ですか?」 「大丈夫、です」 「三薙さん、返せって言うのは………」 志藤さんが心配そうに顔を曇らせながら、俺の背中を優しく摩る。 背中に温かさを感じながら、一度目を瞑る。 あいつらが返せと言ってるのは、なんなのか。 「………すいません、俺が言ったことですけど、余計なことを考えるのは、やめましょう」 「でも」 「俺達がしなければいけないのは、ここを守る。それだけです」 俺が最初に始めた会話で申し訳ないけれど、そう言って志藤さんを遮る。 志藤さんは子供のような目で、じっと俺の目を見ていた。 「真実を知ることは、必ずしもいいことでは、ないから」 「………はい、三薙さんがそう言うなら」 「ありがとうございます。本当にすいません。俺が余計なこと言ったから」 真実は、必ずしも知っていいことばかりじゃなかった。 知らなかった方がよかったと思ったことも沢山あった。 「………他家の事情には、関わるな、か」 確かに、そうだな。 あいつはいつだって正しい。 今までのことを後悔はしていない。 痛みを伴う真実でも、忘れたいとは思わない。 でも知ることと、知らないこと、どちらが正しいか、分からない。 どちらにせよ、俺達が出来ることは一つだけなのだから。 「………三薙さん?」 「いえ、なんでもありません」 余計なことを考えるのはやめよう。 俺のすべきことは、ここを守り抜くことだけ。 「志藤さんは、大丈夫ですか?」 「はい、大丈夫です。お気遣いありがとうございます」 「よかったです」 志藤さんが目を細めて微笑む。 家の中でたまに見かけていた時よりもずっと表情が柔らかい気がする。 こんな風に笑えた人なんだな。 「お茶淹れますね」 「あ、はい。大丈夫ですか?」 「大丈夫です」 昨日はそう言って立ち上がって、あいつらを見て怯えてしまったことを思い出す。 俺はなんとなく心配になって志藤さんの後を付いていく。 「三薙さん?」 「あ、いえ」 一緒に立ち上がった俺を志藤さんが不思議そうに首を傾げる。 そして襖をあけてキッチンに面した廊下に出る。 流しやコンロがついてるすぐ上の曇りガラスには、また人の黒い影が張り付いていた。 「………っ」 「ああ、また来ていますね」 一瞬言葉を失う俺とは逆に、昨日とは打って変わって冷静な志藤さん。 まるで虫が来たというように、少しだけ眉を顰めるだけだ。 「えっと、大丈夫なんですか?」 昨日とは大違いの反応に、俺は思わず聞いてしまう。 すると志藤さんは俺を振り返ってまた笑う。 「三薙さんがいるから、怖くないです」 その言葉に、なんだか胸がぎゅっと締め付けられる。 頼りにされているという訳ではないかもしれないが、俺の存在がこの人の役には立っているのだ。 それが、酷く嬉しい。 「………ありがとうございます」 「え?」 「いえ、なんでもないです」 少なくとも俺は、この人のためには、なっている。 「おはようございます。大丈夫ですか?」 二人がかりだったせいで今日は昨日ほど疲労せずに夜明けを迎えた。 それでも朝日と共に現れた熊沢さんの顔を見るとほっとして力が抜ける。 「はい。大丈夫です。今日は志藤さんがいてくれましたし」 「志藤君は役に立ちましたか?」 「はい、助かりました」 「だそうです。よかったですね、志藤君」 「はい」 しっかりと頷く志藤さんに熊沢さんがおやというように目を丸くする。 俺も少しだけ驚いた。 熊沢さんにこんなしっかりと受け答えをした志藤さんは初めて見たかもしれない。 「う………ん」 「双兄!」 襖が開け放たれた隣の部屋から、次兄の呻き声が聞こえる。 俺は慌てて隣の部屋に向かう。 後ろからゆったりと熊沢さんも付いてきて、二人で双兄の顔を覗き込む。 「双兄、大丈夫?」 「おはようございます、双馬さん」 双兄は眉間に皺を寄せて、もう一度呻く。 それから頭をふってからゆっくりと体を起こした。 「ああ………、三薙、熊沢。おはよう」 「美女じゃなくてすいませんね。首尾はいかがですか?」 聞くと双兄は、頭を抑えて顔を歪めた。 「悪い。最後までもらってない。明日までかかる」 「そうですか。ちょうどいいです。応援は明日には来るそうなので」 「そうか」 どうやらまだもう一日かかることは決定したようだ。 どちらにせよ明日から応援が来るなら、今日まで頑張ればいいのだろう。 「貰ってないって、託宣?」 「ああ、順子ちゃんが目覚めて、遊んで、彼女が未来を読む。半年から一年分の託宣を貰えるんだ。それは実際にそっちの部屋に石として顕現する。ただ今回はちょっと彼女も未来を読むのを手間取ってる」 「………石、か」 石。 未来を読む巫女。 「どうした?」 「あの、さ」 「ああ」 ぼそりとつぶやいた俺を聞き咎めて、双兄が怪訝そうに聞いてくる。 聞いていいことなのか、悪いことなのか。 「………いいや、後で聞く」 最後に、双兄は全てを教えてくれると初日に言った。 それならきっと、それも含めて全部教えてくれるはずだ。 あの時教えてくれなかったのは、何か意味があるのだ。 「分かった」 双兄はあっさりと頷いた。 俺が何を聞きたかったのかは、分かったのだろうか。 「それじゃ、今日の夜も泊まるんだよな」 「ああ。お前も家に連絡して、学校に言ってもらうようにしておけ」 「分かった」 また、学校休まなきゃいけないんだな。 最近休むことが多いし、ちょっと寂しい。 もっと皆と過ごしたい。 前までは、学校なんて行かなくていいから仕事したいって思ってたのに、現金だな、俺も。 どちらも、頑張ろう。 とりあえずきっちり仕事をこなして、帰ろう。 皆に、会いたい。 「あ、双兄。供給してもらって、平気?」 「ああ、大丈夫だ」 「じゃあ、朝食の後で」 朝食を取ってから、離れの部屋に二人にしてもらう。 やっぱり供給してもらうところを誰かに見られるのは抵抗がある。 天からの供給じゃないにしても、意識がぶっ飛んじゃうのはいつものことだし。 「双兄」 「ん?」 部屋の中を清めている双兄を呼ぶと、双兄は静かに振り返った。 下ろしている長い髪は、やっぱりどこか双兄を女性的に見える。 細いけれど骨も太くて背も高いけれど、中性的だ。 もしかして、わざとやってるかなと、ちらりと思った。 「双姉にさ、俺は天の兄貴だから駄目なんだって言われた。弟だったらよかったのにって」 「ああ」 「俺って、そんなに駄目なのかな。弱いから駄目なのかな」 双姉は、そんなことはないと言った。 でも、やっぱり拭いされない悔しさと哀しさ。 帰って天に聞けと言われたが、やっぱり気になってしまう。 双兄は俺の前に座りこんでから、考えることなくあっさりと言った。 「駄目なことはない。まあ多少ヘタレだけど、別にお前が兄貴で悪いことはない。力で言えば俺も四天より格段に落ちる」 「でも、双兄は夢食いの力があるから」 「まあ、それはあるけどな。この力便利だし。でも、別にやり方を変えればあいつにだって出来るだろう。工数とかを考えなければ、俺でなくても解決できる」 それから俺の目をまっすぐに見る。 あっさりとした言い方だからこそ、慰めるとか誤魔化すとかそう言ったことは感じない。 「お前の力が天に劣るから悪いって訳じゃない」 「なら、なんで」 双姉はあんなことを言ったのか。 四天は俺を嫌うのか。 「なんでだろうなあ」 双兄はため息をつきながら、自分の髪をくしゃくしゃとかきまぜる。 「双兄?」 すると双兄は俺の肩に、頭を載せてくる。 ずっしりとした重さと、体温の高い双兄の熱さを感じる。 「俺さ、今のまま、皆で適当に仲良くしてたいんだよな」 「は?」 「兄貴が口うるさくガミガミ言って、でも俺達全員の面倒見てくれて尻拭いしてくれて、俺は適当にぶらぶらしてお前らからかって遊んで、お前はへたれで皆にいじられて、四天はツンツンしながら小生意気なこと言ってさ」 「へたれって、おい」 聞き逃せない言葉につっこむが、双兄は気にせずもう一度ため息をついた。 肩にかかる息が生温かい。 顔が見えないから、どんな表情をしているのか分からない。 「なんで、このままで、いられないんだろうな」 「双兄?」 「どうしたらいいんだろう」 珍しい途方にくれたような言葉。 何を言っているのか分からないけれど、心配になってその背中に腕を回す。 骨ばった体は熱く細い。 「双兄、どうしたんだよ。なんか、あったの?」 「………俺さ、もうすぐ大学も卒業だろ」 「………うん」 双兄がもう一度大きく大きくため息をつく。 ドキドキとしながら双兄の体に回した手に力を込める。 そしてたっぷりと時間をかけて、双兄は言った。 「働きたくない」 「おい」 「どうしてこのままでいられないのかなあ。本当に。俺このまま大学生やってたいです」 「おい、この駄目人間」 真剣に心配した俺の純情を返せ。 双兄ががばっと俺の肩から顔を上げる。 「お前はまだ学生だからっていい気になりやがって!俺のこと養いやがれ!」 「アホか!」 「ヒモかニートになりたいです」 「それが弟に兄が言うことか!」 「俺だって兄である前に、一人の人間だ!」 「なんかいいこと言ってやったって顔をするな!」 「まあ、ぶっちゃけ俺の方が兄貴には向いてないな」 「本当だよ!」 真面目な顔で本当にろくでもないことを言う次兄に、脱力してしまう。 畳に手をおいてうなだれると、体が引き寄せられた。 「さて、さっさと供給しちゃうか。また遅くなったな」 「だから誰のせいだと………」 ぼやく俺の言葉を無視して、双兄が額に額を合わせる。 じわりとオレンジの力の俺の中に入り込んでくる。 「宮守の血の絆に従いて我が力を絆深きものに恵むために………」 テンポのいい双兄の呪を聞きながら、意識がぼやけていく。 体の中がオレンジに変わって行く心地よさを受け止めて、目を閉じる。 「んっ」 急激に襲ってくる眠気に身を委ねながら、ぼんやりと考える。 双兄の話題の転換は、何か不自然だった。 双兄は本当は何が言いたかったのだろう。 どうしてこのままでは、いられないのだろう。 どうして、変わってしまうのか。 なにかが、変わってきているのだろうか。 |