「ん………」 ゆったりと覚醒を促され、目を開く。 見慣れない天井、障子を閉め切った薄暗い部屋。 そうだ、ここは度会の家だ。 寝ぼけながら伸びをして、ごろりと寝がえりを打つ。 「………うわ」 すぐ隣に志藤さんに顔があった。 近い近い。 なんでこんな近くに寝ているのだろう。 少し神経質そうな、繊細な顔立ち。 眼鏡を取った顔は起きている時よりも幼く感じる。 まあ、行動もなんだか幼い子供のようなんだが。 ちょっと近すぎるので体を離してゆっくりと体を起こす。 隣の部屋では双兄が布団に寝っ転がっているのが見えた。 能力上仕方ないとはいえ、あんなに寝てばっかりでは体が痛くなりそうだ。 すっかり目が覚めたので、寝巻代わりにしていた浴衣を脱いで服に着替える。 外に出ると、今日はどんより曇り空で灰色の世界が広がっていた。 風が冷たくて、ぶるりと震える。 「おや、起きたんですか、三薙さん」 「熊沢さん」 目的もなく歩いていると、母屋からやってきたのだろう熊沢さんがちょうどいた。 一番寝不足だろうに、疲れを感じさせずいつも通り飄々として笑っている。 「よく眠れましたか?」 「はい、おかげさまで。熊沢さんもお休みください」 「では昼食後に」 「はい」 「三薙さんも後でお風呂お借りしたらどうですか」 「あ、入ってきたんですか」 「はい、さすがに三日間風呂入らないのは辛いので」 つい自分の匂いを嗅いでしまう。 冬だからそこまでじゃないけれど、少し汗臭いかもしれない。 後でお風呂を借りよう。 「双馬さんはまだお休みですか?」 「はい、ぐっすり」 「お疲れなんですね。もう少し休ませておきましょうか」 「はい」 気遣ってはいるものの、俺へ向けるものとは違うどこか気安い言葉がなんだか新鮮だ。 熊沢さんは、本当に双兄と仲がいいようだ。 「………そういえば、なんか双兄が変だったんですけど」 「変とは?」 「なんか、えっと」 熊沢さんは俺の言葉に、不思議そうに首を傾げる。 変だったのは、俺の気のせいかもしれない。 でも、やっぱり、なんかいつもの双兄らしくなかった。 どこか元気がなくて、途方にくれているような態度。 すぐにふざけていたけれど、感じた違和感。 それに、双姉もいつもと少し違った。 二人は、なんか悩むところがあるのだろうか。 「えっと、双兄が、言ってたんです。なんで、変わってしまうんだろうって、変わりたくないって。なんかいつもとは違う、真面目な様子で。すぐにふざけてましたけど、でもちょっとなんか悩んでいるみたいで」 「ふむふむ」 「双姉もなんか、変だったし」 「おや」 「熊沢さんは何か知らないですか?」 「いやあ、三薙さんに分からないことが俺に分かるはずがないですよ」 朗らかに笑って首を横にふる熊沢さん。 期待していただけに、あっさりとしたその返事にがっくりとくる。 失礼ながら肩を落とした俺を見て、くすくすと笑う。 「どうしたんでしょうね。まあ、双馬さん達は繊細ですから、悩み事も多いんでしょう」 「………繊細、ですか?前にも言ってましたね」 「繊細ですよ。お二人とも優しくて、傷つきやすい」 「そう、なんですか」 俺が見る二人は、そうは見えない。 いつだってふざけていて細かいこと気にしないで好き勝手やっている。 双姉はさすがにもうちょっと優しさがあるし、かわいいところもいっぱいあるけれど、悪ふざけが好きで大雑把なのは二人とも一緒だ。 繊細さってのは、どの辺にあるのだろう。 「お二人とも弟にはいい所見せたいんで頑張ってるんですよ」 「………」 「どうしましたか?」 「なんか、俺の兄なのに、熊沢さんの方がよく知ってる感じだから………」 まるで俺は二人のことをよく知らないようで、ちょっと悔しくて寂しい。 双兄とは仲がいい方だと思っていたのだけれど、二人とも俺には見せない顔があるのだろうか。 思わず俯いてしまうと、熊沢さんが吹きだした。 「な、なんですか」 「いえ、失礼しました。かわいいなあ、と」 「………」 「失礼しました」 確かにちょっと子供っぽい態度だったかと思って、恥ずかしくなる。 謝りながらもくすくすと笑う熊沢さんに、顔が熱くなってくる。 「許してください。俺は恐れ多いですが、言ってみればお二人の友人のようなものです。友人と兄弟の役割は、違うでしょう?三薙さんもご友人に見せる顔とご兄弟に見せる顔は違うでしょう」 確かに、そう言われれば、そうかもしれない。 一兄や双兄や四天に対する感情と態度と、藤吉や岡野に向けるものとは違う。 「それは………」 「その代わり俺の知らない双馬さん達を三薙さんはよくご存じでしょう。結局血が繋がっているのは三薙さんなんですから」 「………」 俺しか知らない、双兄。 確かに双兄が兄貴風を吹かせて威張り散らして遊んでくれるのは俺と天だけだ。 今の天は、双兄と遊んだりしないけれど。 「お二人が三薙さんに見せたい姿があるんです。兄と姉としてのプライドを理解してあげてください」 優しく笑って熊沢さんが諭すように言う。 確かに下の兄弟には威張りたいってのは分からないでもない。 俺だって天が小さい頃は威張って兄貴風を吹かしていた。 「どうしたんですか?」 思わず熊沢さんをじっと見てしまうと、それに気づいて首を傾げる。 「………本当に、なんか双兄のお兄ちゃんって感じですね」 「それは恐縮ですが、光栄です」 丁寧な物腰と言葉。 穏やかな態度に、どこか胡散臭い笑顔。 気安くて付き合いやすい人だけれど、やっぱり俺に対してはどこか一線を引いている。 「………いつもは、もっと普通の話し方してるんですか?」 「え?」 「双兄、亮平って、呼んでたから。双姉も亮君って呼んでました」 双兄達には熊沢さんも別の顔を見せるのだろうか。 俺に見せる顔と、双兄達に見せる顔は違うのだろうか。 それはなんだか不思議な感じがする。 「これはお恥ずかしい。お二人が幼い頃から一緒にいますからね」 「熊沢さんも、もっと砕けた話し方、するんですか?」 双兄はもっと普通に話せって言っていた。 熊沢さんもいつもは違う態度なのだろうか。 「さあて、どうでしょう」 はぐらかすように熊沢さんが天を仰ぐ。 俺がじっと見つめると、小さく笑って指を一本口の前で立てる。 「先宮や宮城さんに知られたら叱られてしまいますからね。内緒にしておいてください」 悪戯っぽく笑う熊沢さんに、俺も笑ってしまう。 やっぱり、楽しい人だ。 俺が知らない違う熊沢さんは、どんな感じなのだろう。 ちょっとそれを知ってみたい。 双兄が羨ましく感じる。 「さて、ちょっと離れの様子を見てきますね」 「はい」 言い置いて、熊沢さんは離れに軽やかに歩いていく。 全然寝ていないとは思えないしっかりとした足取りだった。 それを見送ってから、風呂でも借りようかと母屋に足を向ける。 「三薙!」 その時母屋の影からこちらに駆けてくる小さな姿があった。 元気いっぱいなヤンチャな顔は昨日知り合ったばかりの少年だ。 「和彦君」 「お前、今日帰るの?」 僅かに息を切らして俺の前に来ると、満面の笑顔で見上げてくる。 相変わらずのタメ口だが、文句を言う気にもなれない。 「いや、後一泊させてもらうことになった」 「そっか。まだ解決しないんだ。じゃあ遊ぼうぜ」 「いいけど、友達とかは?」 「今日日曜だしさ。それに今日は家から離れるなって言われてるから」 「ああ、なるほど」 「仕方ないから三薙で我慢してやる」 「なんだと、こら!」 捕まえて頭をぐりぐりと拳骨でしてやると、痛い痛いと言いながら朗らかに笑う。 子供の笑い声ってなんだかほっとするから不思議だ。 「友達、いっぱいいるのか?」 「あったりまえだろ」 「そっか、いいな」 「三薙はいないの?」 「俺だっているよ!」 今はいる。 友達って、胸を張って言える人達がいる。 それがこんなにもくすぐったくて嬉しい。 そうだ、双兄を羨むことなんてない。 俺だって、友人はいるんだから。 「でも俺、家の近くだと、弟と女しかいないしさ。どっちもやっぱり遊ぶのには足手まといだしなあ」 「そうなんだ?」 「そうだよ。ついてくるのはいいけどすぐ泣くしさ、怪我させたりしたら俺が怒られるし」 「あはは」 確かに小さな子供は自分よりも目上の人間のやることを自分の実力を顧みずに真似したがる気がする。 俺もそうやってよく怪我をしていた。 「でも俺もそうだったなあ。双兄についてっては、怪我したり泣いたりして、双兄が一兄に怒られたりして」 「双馬に遊んでもらってたの?」 「うん、よく遊んでもらってた。俺、えーっと、体が弱かったからあんまり外出られなくて遊び相手が兄弟しかいなくてさ」 「友達いなかったんだ」 「い、今はいるぞ!」 「ムキになるなよ」 肩をすくめて呆れたように言われた。 自分よりも随分年下の子に諭されて、恥ずかしくなる。 これじゃ友達がいなかったと力いっぱい肯定している。 「まあ、いいじゃん、三人も兄弟いるんだろ」 口を閉ざした俺を、和彦君は大人びた様子でフォローしてくる。 なんだか余計にへこむな、これ。 「まあ、うん、それは」 「俺は生意気な年下しかいないんだぜ?俺も双馬みたいな兄ちゃん欲しかったなあ」 「そうだな。うん、楽しかった、かな」 確かに、そうだな。 兄ちゃんがいて、よかった。 一兄と双兄がいてくれて、楽しかった。 二人がいてくれたから、寂しくなかった。 忙しい一兄はそれでも俺の面倒を見て勉強を教えてくれて、双兄は俺をパシリにしつつも子供らしい遊びなんかに付き合ってくれた。 天とも、小さい頃は双兄と一緒によく遊んだ。 楽しかった。 一兄と遊んだことも、双兄と天と一緒に遊んだことも、楽しかった。 そういえば、一兄って、双兄や天と遊んでる姿ってあまり見なかったかな。 「三薙、どうかした?」 「あ、いや」 昔を思い出して黙りこんだ俺を、和彦君が見上げている。 首を横にふると、和彦君がシャツをくいっと引っ張る。 「なあ、何して遊ぼうか」 「えーと、そうだな。あ、そういえば!和彦君の唄、間違ってたぞ」 「へ?」 「あの、手鞠唄。おやまのうえにすんでいる、ってやつ」 「どこが間違ってるんだよ」 俺の言葉に、和彦君が不満そうに口を尖らせる。 けれど合っているのは俺の方だ。 「最後だよ。やまからおりて、ひとのこさがす。ひとめをさがしてさまよいあるくだっただろ」 「知らねーよ、俺が教わったのは、やまからおりて、ひとのこくらう、ひとのこくらってひとめをさがすだったし」 「間違って覚えたんだろ」 「だから知らないって。何度も聞かされたし、間違ってるなら俺に教えた奴が間違ってるんだろ」 あくまで自分の間違いを認めない和彦君。 順子ちゃんのせいにするなんてなんたる責任転嫁。 俺は笑いながらはっきりと言ってやる。 「そんな訳ないだろ。だって俺、順子ちゃんから聞いたんだし」 和彦君はきょとんとした顔で首を傾げる。 「順子って誰?」 「え………」 思わず頭が真っ白になる。 だって、和彦君は順子ちゃんから唄を聞いたんじゃないのか。 知り合いの女の子から教えてもらったって、言っていたよな。 「和彦!」 「あ、やべ!」 どういうことかと考えていると、怒気をはらんだ声が母屋から響く。 和臣さんが目を吊り上げて、こちらへのっしのっしと歩いてくる。 「じゃあな、三薙!また後で!」 そして軽やかに身を翻し、和彦君は驚くほどの速さで去っていく。 さっきの言葉の意味を問う暇も与えずに。 「三薙さん、あいつが何か失礼なことをしませんでしたか」 「和臣さん」 「まったくもう、あいつは。本当にすいません」 「………いえ」 失礼なことなんてされてない。 そんなことはされてない。 けれど黙りこむ俺に、和臣さんが不安そうに顔を曇らせる。 「どうかされましたか?」 「あ、いえ、あの」 「はい、なんでしょう?」 聞いていいのだろうか。 これは、聞かない方いいのだろうか。 「三薙さん!」 迷っていると、後ろから弾んだ声が聞こえた。 後ろを振り向くと、そこには嬉しそうな顔の志藤さんが駆けてくる。 「………志藤さん」 「どうしたんですか?」 「………いえ」 一体、どういうことなのだろう。 |