「ふう」

後は帰りのホームルームを残すだけとなった学校で、思わずため息をついてしまう。
家に帰るのが、気が重い。
仕事のこと、謳宮祭のこと、そして四天のこと。
元々キャパシティが大きくない俺は、一気に色々なことが振りかかってきて、すでにいっぱいいっぱいだ。
結局双兄は昨日帰ってこないし、今日も帰らないなら宮城さんに聞くしかない。
舞の練習だってしっかりしないと、次桐生さんに会った時に怒られるだろう。
それに、四天のこと。
どうしたらいいんだろう。
あいつは、何を考えているんだろう。

「何またため息ついてんの?相変わらずくれー」
「………岡野、酷い」

気がつくと隣には岡野が立っていた。
相変わらずメイクはばっちり、ギラギラしていて攻撃的だ。
それもかわいいけど、すっぴんもかわいいのにな、なんて思った。

「体調、まだよくないの?」
「あ、ううん。それは大丈夫」

乱暴なことを言いながらも心配して近づいてきてくれたのだと気づく。
岡野はいつもこんな風に口では酷いことを言いながらも、優しい。
だから、自然と頬が緩んでしまう。

「ありがとう、岡野」
「ふん」

礼を言うけれど、岡野はつまらなそうに鼻を鳴らしただけだった。
けれどそんな態度も照れ隠しじゃないかなって最近は思ってるから、全然気にならない。

「なんかあったの?」

案の定岡野は、もう一度聞いてくる。
それが心配だってことに気づいているから、俺も正直に答える。

「もう、何度も何度も同じことで悪いんだけどさ、弟と喧嘩」
「また?」
「………また」

本当に、また、だ。
また、って言えるようなこと。
いつものこと、だ。
けれど、今まで以上に天との距離が、日々離れていくような気がして、ならない。

「もう、どうしたらいいんだか、分からない」

どうしてあんなことをするのか。
どうしてあんなことを言うのか。
前から分かりづらい奴だったけれど、今はもうまるで別人のように遠く感じてしまう。

「あんた、放課後暇?」

黙りこんだ俺に、岡野が唐突に仏頂面のまま聞いてくる。

「え、と」
「忙しいの?」
「ううん、大丈夫」

舞の練習はしなきゃいけないし、仕事のことも聞かなきゃいけない。
けれど、そのどちらも少しくらい遅くなっても問題はない。

「んじゃ、帰り遊んでこ」
「う、うん!」
「じゃあ、裏門で待ってる」
「うん!」

ちょっと期待していた通りのお誘いが来て、うきうきとしてくる。
もしかして俺、誘ってほしいとかアピールしてただろうか。
それはうざいかもしれない。
ちょっと控えるよう、気をつけなきゃ。
でも、嬉しい。

ホームルームが終わって、岡野は教室からさっさと出ていってしまったので、荷物を持って下駄箱に急ぐ。
そういえばなんで教室じゃないのだろう。
一緒に行けばいいのに、なんて思いながら裏門まで小走りで行くと、岡野が一人で立って待っていた。

「お待たせ。皆はまだ?」
「は?」
「藤吉達は?」
「いない」
「え」

それだけ言うと、岡野はくるりと背を向けてさっさと校門から出ていってしまう。
俺は慌ててそれを追いかけながら、頭の中は疑問符でいっぱいだ。

「え、岡野、あの」
「何?」
「えっと、その、ふ、二人?」

そこで岡野は立ち止り、後ろを振り向く。
仏頂面のまま、不機嫌そうに問う。

「嫌なの?」

急いで頭を横に思い切り振った。
皆が一緒だと思っていただけで、嫌だなんてことはない。
ただ、二人と言うのが、意外すぎただけだ。

「じゃあ、行くよ」
「う、うん」

隣に行きながら、ちらりと岡野を盗み見る。
女の子と二人なんて、しかもこんな風に放課後一緒に遊ぶなんて、したことがない。
急に心臓がバクバクと波打ち始める。
まるで、デートのようだ。

「どうしたの?」
「あ、ううん」

意識し始めると、岡野の顔がまともに見えなくなってしまう。
背の高い岡野は他の女の子より顔が近くにあって、余計に緊張する。
いつも使っている香水の匂いが、時折ふわりと香る。
花のような匂いに思わず顔を近づけて嗅ぎそうになった自分を、すんでで止めた。
俺は変態か。

「だから何?」
「なんでもない!」

首を思い切り横にふっていた俺を、岡野が怪訝そうに見上げる。
別の意味で激しい動悸を抑えながら、俺は深呼吸を繰り返す。
頑張れ。
頑張れ、俺。

青い水。
俺の体の中を青い水をイメージするんだ。
力を使う時と同じだ。
自分の体の全てを自分の支配下に置くんだ。

「宮守?」
「できません!」
「は!?」

岡野が立ち止って、俺の顔を覗き込む。
黒く縁取られてより大きく見える目が、じっと俺を見ている。
思わずその場に座りこんだ。

「え、ちょ、宮守!?」
「………すいません、ちょっと待ってください」

それから俺は落ち着くまでにたっぷり5分間の時間を要した。



***




繁華街にあるビルの中のショップを冷やかしながら、二人歩く。
相変わらず緊張してそわそわしてしまうが、なんとか自制心を総動員していつも通り振る舞う。
振る舞っているつもりだ。

「これかわいい。どう?」
「あ、う、うん。かわいい」

岡野が細めのシルバーの鎖に、いくつも真珠のような白いビーズがついたネックレスを自分の胸に当てている。
それは、うまく着崩している制服によく似合っていた。

「こっちは?」

今度はアジアっぽいでっかい不透明の石がいくつもついたネックレス。
それもまたよく似合った。

「それもかわいい」
「役にたたねーな」
「う」

だって、岡野は美人だからなんでも似合う。
なんてこと、絶対言えないけど。
ここで一兄とか双兄だったら、さらっと言えるんだろうなあ。
俺が言ったら笑い飛ばされそう。

「じゃあ、私に、どれが似合うと思う?」
「え、えっと」

岡野がからかうように言って、ネックレスがいっぱい置いてある台を指し示す。
色々な石がついているネックレスはどれもこれも綺麗で、目がチカチカしてくる。
どれもこれも、かわいいし、どれでも岡野には似合うと思う。

「え、っと」
「早く。直感」
「は、はい!」

促されてもう一度、岡野をイメージしながらネックレスを眺める。
すると一つ、目を引いたものがあった。
他のも眺めてみるが、やっぱりこれが似合う気がする。

「こ、これ」
「ふーん。すずらんか」

岡野が俺が指し示したネックレスを取って自分の首にあてる。
白いすずらんが小さくつらなったデザインは、地味だが岡野によく似合った。

「随分かわいいね。どう?」
「か、かわいい、と思う」

ネックレスってことだから、大丈夫だよな。
岡野は俺の言葉に、ふっと笑った。

「じゃあ、これ買お」
「え」

何か言う前にそれを取って、レジに行ってしまう。
俺は止めることも出来ずに、その後ろ姿を見つめることしかできなかった。



***




「本当にあれでよかったのか?俺、センスとかないし……」
「いーの。私が決めたんだから。喉渇いた」
「あ、お茶飲もうか」
「うん」

近くにあったファストフードに入って、ドリンクを買う。
奢るって言ったのだが断られてしまった。
こういうところも、他の三人だったらもっとスマートにやるんだろうなあ。
でも俺がいきなりそんなレベルを上げられる訳もなく、結局それぞれに買って席につく。
俺は紅茶で、岡野はコーヒー。
しばらく他愛のない話をして、話が途切れたところで岡野が多分本題であろうことを切りだす。

「そういえば、弟君と何があったの?」
「………うん」

なんでもない口調だけれど、それを心配して連れ出してくれたのだろう。
それなら、黙っている訳にもいかない。
それに俺も聞いてほしい。
家の人間とは、違った答えが返ってくるかもしれない。

「俺と天ってさ、前から、仲はそんなよくなかったんだ。まあ、俺の一方的な嫉妬なんだけどさ。俺は弱くて何も出来なくて役立たずなんだけど、あいつは強くて頭がよくて冷静で、なんでも出来る。何でも持ってる。家族からも信頼されてる」

6歳の頃から、仕事に出ていた天。
俺にはどうしても扱えない使鬼を、軽々と扱い遊んでいた幼い弟。
小さくて俺の後をついてくる弱い存在が、実は俺よりもずっと強いものだと知ったのは、いつだっただろうか。

「だから、俺が一方的に嫌ってた。でも、どうしてもあいつに頼まなきゃいけないことがあったから嫌がりながらもあいつに頼ってた。あいつもそれが分かってるせいか、俺には人一倍きつかった」

天は栞ちゃん以外には基本的に冷たい。
けれども礼儀は弁えているから、それなりの態度で接する。
あんなにきつい言動をして眉を顰めるのは、俺に対してだけだ。

「でも、一緒にゲームしたり、勉強教えたりするぐらいは、してた。普通の兄弟みたいなところはあった」

でも、やっぱり弟だから、他人にはない親しさがあった。
嫌いあっていても、距離は近かった。
俺が他に友達がいなかったせいで、家族に対して寄りかかるところがあるからかもしれないけれど。

「それなのに、最近、あいつ、変なんだ」
「変?」
「………うん」

思い出して怒りと屈辱と恐怖に、腹の中がぐるぐると重くなる。
最低な、おぞましい、行為。

「今まではあいつが嫌みを言ってもぞんざいな扱いをされても、俺に非があることが多かったし、ムカつくけど納得できることがほとんどだった。でも最近、酷い嫌がらせするようになってきた。本当に最低な、嫌がらせ」

怒っているなら、今まで通り口でいえばいい。
それでも分からなければ、暴力でもいい。
あんな、暴力にも劣る、酷いことをしなくても、いい。

「理由は?」
「………分からない。聞いても教えてくれない。はぐらかして、更に嫌がらせしたりする」

理由があるなら、知りたい。
俺が嫌いなら、それでもいいんだ。
ただ、訳を知りたい。

「最近は、一方的に嫌ってばっかりじゃ、駄目だって、思ってたんだ。あいつが考えてること知って、もっとあいつと仲良くなりたいって、思ってた。あいつだって大変なんだから、もっと、理解したいって」

傷だらけの体。
俺よりもずっと大人びていて常に冷静な態度。
大人にならざるを得なかった環境。
辛い思いをしているのなら、それを少しでも理解して、近づけたらって思っていた。

「でも、あいつ、理由を聞いても、教えてくれない。ただ、俺を………俺に、嫌がらせをする。俺のどこが駄目なのか、俺のことが嫌いなのかって聞いても答えてくれない」

ため息をついて、テーブルについた手で頭を抱える。
混乱して思考はぐちゃぐちゃで、まとまることはない。
この二日間考えすぎて苦しくて、もう何もかも投げ出したくなる。

「あいつが、何考えてんだか、本当に、分かんねえ………」

呻くように吐きだすと、一瞬席の周りが静まり返る。
子供の叫び声、女の子の笑い声、周りの喧騒がどこか遠く聞こえる。

「殴れ」

その中で聞こえてきた、はっきりとした一言。
すぐ近くで聞こえた声に、思わず顔を上げる。

「へ?」
「一発殴れば、そんなガキ?」
「え、あの?」

岡野は特に表情を変えずにしらっと言い切った。
何も入れてないコーヒーを飲みながら、動揺する俺を鼻で笑う。

「躾けだろ、躾け。私は弟が馬鹿なことしたら殴り倒す」
「怖っ」
「うっせ、あいつら馬鹿だから体に教えこなきゃわかんねーんだよ。加減分からないから本気で殴ってくるし全力で噛んだりしてくるし。動物と一緒。体罰よくないとか言うけどさ、自分の痛みが分からなきゃ、人に与える痛みも分かんないし。ま、度を超すのはよくないけどさ」

いや、それは俺と天のパターンには当てはまらないだろう。
ものすごい力押しの解決案を提示されて、笑う前に感心してしまう。

「………」
「何よ?」
「いや、なんか、お姉ちゃん、だなあって」
「馬鹿にしてんの?」
「違う違う!」

目を細めて睨みつけてくる岡野に、焦って首を横に振る。
岡野は、面倒見がいいし、乱暴だから分かりづらいけど優しいし、本当にお姉ちゃんって感じだ。
俺からいったら双姉が姉になる。
出会って間もないし中々会えないからまだ性格をよく分かってないけど、どこか似ている気がする。
厳しいけど、口が悪いけど、どこか温かい。

「しっかりしてるな、って」
「………ふん」

岡野はつまらなそうに、そっぽをむいて鼻を鳴らした。
岡野が姉だったら、きっと弟もかわいいんだろうな。

「弟さん、いくつなの?」
「妹が中学生一年。弟が小学三年」
「結構離れてるんだな」
「うん。だから余計に面倒でさ。妹、思春期だし」

ふっとため息をつく岡野は、本当に大変そうだけれどやっぱりどこか親愛みたいのを感じる。。
思わずにやにやとしてしまうと、それに気付いたのか岡野が話を変えてくる。

「だから、あんたさ、弟に何遠慮してんだか知らないけど、そんな訳わかんねーことする奴一発殴り倒せばいいじゃん」
「遠慮………。いや、殴ってはいるんだけど、返り打ちにあうっていうか………」
「弱!」
「う」

遠慮なんて、していない。
殴ったり、罵ったりもした。
けれど、あいつには届かない。
俺の言葉は、一切届かない。
あいつにとって、俺は取るに足らない存在だからだろうか。

「でも、気合いだよ、気合い。私だって弟が本気で歯向かってきたら怯むし。確実にまだ私のが強いけど、あっちが真っ正面からキレてきたら、こっちが悪いのかなって気分になる」

そんなこと言われても、あれ以上どうやって怒ったらいいのか分からない。
俺は本気で怒っていたと思うのだけれど。

「とにかく、そんな生意気な弟、一発ガツンとゲンコツでも食らわせてやれ」
「うーん」
「あんたが悪いん訳じゃないんでしょ?」
「今回は、絶対俺は悪くない」

それだけは、言える。
例え俺の態度になんかしら気に障ることがあったのだとしても、あんなことをしていい訳がない。
それにあいつは理由なんてないっていう。

「だったらうじうじすんな。舐められないようにしっかりしとけよ」
「舐められてる、のかな」
「でしょ」

確かに、確実に格下に思われているだろう。
それは、事実でもあるし。
俺のことなんて、兄となんて、思ってないかもしれない。
俯くと、ごつごつした指輪がついた手で殴られた。

「あんたすぐうじうじして後ろ向きになるし、へたれだし、見てて苛々するし」
「………岡野、心に刺さる」
「本当のことだからでしょ」
「………うん」

確かに、そうだ。
あまり後ろ向きになってもいけないと何度も思っても、自分への自信なんて生まれやしない。
だって、俺は生まれた時から、脆弱な存在だ。

「でも、俺、本当にあいつより弱いし、あいつも、すぐ話はぐらかすから」
「嫌がらせされたり、はぐらかされるなら、そうされないように工夫して聞けばいいじゃん」
「工夫」
「外に連れ出して、逃げ出せないようにするとか」
「………」
「外ならそうそう殴り合いにもならないだろうし、はぐらかされたら何度でも聞いて、家に返さないようにするとか」
「怖いな、岡野」
「うっせーな」

でも、そうか。
外で話せばあんなことされることはないだろうし、お互い冷静に話せるかもしれない。
家族が入ってくることもないし、腹を割って話すことも可能かもしれない。

「でも、うん。そうだな。ちょっと考えてみる」
「そうしろ。後すぐ落ち込むな。自分が悪くないなら堂々としてろ」
「………でも、俺が悪いところもあるし」
「知るかそんなもん。それは別で反省して、変なところで落ち込むな」

乱暴だけれど、はっきりとした強い言葉に、俺は思わず笑ってしまう。
岡野は強くて頼もしくて、優しい。

「うん」

岡野と一緒にいると、心が晴れて強くなっていく気がする。






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